呉佩孚(読み)ごはいふ

精選版 日本国語大辞典 「呉佩孚」の意味・読み・例文・類語

ご‐はいふ【呉佩孚】

中国の北洋軍閥直隷派軍人。一九二〇年の安直戦争と二二年の第一次奉直戦争に勝って、北京を支配。二四年第二次奉直戦争で敗れ、さらに蒋介石北伐軍に敗れて、政界引退した。(一八七二頃‐一九三九

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デジタル大辞泉 「呉佩孚」の意味・読み・例文・類語

ご‐はいふ【呉佩孚】

[1874~1939]中国の軍人。蓬莱ほうらい山東省)の人。あざなは子玉。北洋軍閥直隷派総帥。第一次奉直戦争で奉天派を破ったが、第二次奉直戦争、国民党北伐に敗れて引退。ウー=ペイフー。

ウー‐ペイフー【呉佩孚】

ごはいふ(呉佩孚)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「呉佩孚」の意味・わかりやすい解説

呉佩孚
ごはいふ / ウーペイフー
(1872―1939)

中国、山東(さんとう/シャントン)省出身の政治家。若くして軍隊に投じ、のち保定武備学堂を卒業。袁世凱(えんせいがい)部下の軍閥曹錕(そうこん/ツァオクン)をかつぎ、中華民国以後の軍閥混戦のなかで、直隷派(ちょくれいは)として大きな勢力を築き上げた。まず1920年、日本に後押しされた安徽(あんき)派の段祺瑞(だんきずい/トワンチールイ)を追い(安直戦争)、1922年にはやはり日本の影響下にあった奉天派の張作霖(ちょうさくりん/チャンツオリン)を追って(第一次奉直戦争)、賄賂(わいろ)選挙によって曹錕大総統を実現し、北京(ペキン)政界に重きをなした。1923年、京漢(けいかん)線の鉄道労働者のストライキに大弾圧を加え、共産党員林祥謙を焼き殺した。1924年、ふたたび奉天派と戦ったが、馮玉祥(ふうぎょくしょう/フォンユイシヤン)の寝返りで敗退(第二次奉直戦争)。その後は再起することができず、1932年から北京に隠棲(いんせい)した。日本軍占領下で一時傀儡(かいらい)政権に参加させられたが、名目だけにとどまって、いっさい協力せず、抗日戦争中に病死した。

[安藤彦太郎]

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百科事典マイペディア 「呉佩孚」の意味・わかりやすい解説

呉佩孚【ごはいふ】

中国,清末・民国初期の軍閥。山東省の人。清末に北洋第3鎮統制曹【こん】(そうこん)の信を得,1919年曹の後を継ぎ第3師長。1921年安直戦争,1922年第1次奉直戦争に勝利。北洋軍閥直隷派巨頭となる。1924年第2次奉直戦争,1928年北伐軍との戦いに大敗,隠退。1939年汪兆銘(おうちょうめい)の南京政府に便乗し,日本に協力したが病死。
→関連項目土肥原賢二

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改訂新版 世界大百科事典 「呉佩孚」の意味・わかりやすい解説

呉佩孚 (ごはいふ)
Wú Pèi fú
生没年:1874-1939

中国の軍閥,山東省蓬萊県の人。字は子玉。23歳で生員,のち保定軍官学校へ進み,曹錕(そうこん)の下で頭角をあらわした。直隷派の驍将として同派の政権掌握(1920-24)に功があった。1923年の二・七虐殺(京漢鉄道ストライキ)にみられるように,軍閥支配者の本質は不変だが,たびたびの平和提案など,時局の趨向に投ずることに長じ,軍閥のなかではかなり人気があった。北伐軍に敗れて第一線を退き,のち日本の担ぎ出し工作には応じなかった。死後,国民政府から一級上将を追贈された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「呉佩孚」の意味・わかりやすい解説

呉佩孚
ごはいふ
Wu Pei-fu; Wu P`ei-fu

[生]同治13(1874)
[没]1939.12.4. 北京
中国,民国初期の軍閥。山東省蓬莱県の人。清末に北洋第3鎮 (民国以後は第3師) の軍人となり,曹こんの部下として活躍し,1919年第3師長に昇進。 1920年安直戦争段祺瑞の軍を破り,1922年第1次奉直戦争張作霖に勝ち,直隷派軍閥の巨頭として北京を支配し,1923年京漢鉄道のストライキを武力弾圧した。 1924年第2次奉直戦争で敗れ,政界を退いたが,日中戦争中に北京臨時政府の綏請委員会委員長となり,まもなく病死した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「呉佩孚」の解説

呉佩孚 ご-はいふ

1874-1939 中国の軍人,政治家。
同治13年3月7日生まれ。直隷総督袁世凱(えん-せいがい)傘下の曹錕(そう-こん)にしたがい,勢力をきずく。1923年不正選挙で曹錕大総統を実現させる。日中戦争中は日本軍に非協力でとおした。1939年12月4日死去。66歳。山東省出身。

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世界大百科事典(旧版)内の呉佩孚の言及

【京漢鉄道ストライキ】より

…1923年2月1日,当時中国最大の鉄道だった京漢鉄道(北京~漢口間)の労働者が総工会結成の大会を鄭州で挙行した。同鉄道を支配する直隷軍閥の呉佩孚(ごはいふ)はこの大会を武力で解散させ,2月4日以来全線で抗議のストライキに突入したのに対し,2月7日,軍隊を出動させて大弾圧を加えた。総工会本部のあった漢口の江岸鉄道工場で32人の労働者が殺されたほか,鄭州,長辛店など工会の各拠点が襲われ,全線で死者40人以上,負傷者数百人,被投獄者40人以上,被解雇者1000人以上という犠牲を出した。…

※「呉佩孚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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