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マルクス経済学者。福岡県大牟田(おおむた)市に生まれる。1921年(大正10)東京帝国大学経済学部卒業。22年より2年半にわたってベルリン留学。この間マルクス、エンゲルスをはじめカウツキー、ベーベル、ヒルファーディングらのマルクス主義理論家の著作を研究すると同時に、マルクス主義文献の収集に努めて、日本におけるマルクス主義の本格的な研究の基礎を築いた。帰国後25年より九州帝国大学教授となり経済学概論を担当。28年(昭和3)の三・一五事件の余波で九大を辞職(第二次世界大戦後復帰)。37年人民戦線事件との関連で教授グループの一員として検挙される。戦前の日本資本主義論争では労農派の代表的論客として活躍し、戦後は山川均(ひとし)とともに社会主義協会を創立して、正統派マルクス主義の立場から労働運動および日本社会党の左派グループに大きな影響を与えた。『資本論』(岩波文庫版)の翻訳のほか、おもな著作として『地代論研究』(1933)、『マルクス経済学の方法』(1959)など多数ある。
[新田俊三]
『向坂逸郎著『経済学方法論』3巻(1950・河出書房)』▽『向坂逸郎著『マルクス主義と民族問題』(1951・板垣書店)』▽『向坂逸郎著『マルクス経済学の基本問題』(1962・岩波書店)』▽『向坂逸郎著『マルクス伝』(1962・新潮社)』
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1897.2.6~1985.1.22
大正・昭和期の経済学者。福岡県出身。東大卒。ドイツ留学後の1925年(大正14)九州帝国大学助教授,翌年教授。28年(昭和3)3・15事件の余波で大学を追われ,評論活動に入る。日本資本主義論争では労農派の論客として健筆をふるう。37年人民戦線事件に連坐。第2次大戦後九大に復職し,「資本論」の翻訳を完成。社会主義協会の生みの親の1人。著書「日本資本主義の諸問題」。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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