日本大百科全書(ニッポニカ) 「向井忠晴」の意味・わかりやすい解説
向井忠晴
むかいただはる
(1885―1982)
財界人、政治家。東京生まれ。1904年(明治37)東京高等商業学校(現在の一橋大学)卒業、三井物産に入社。海外支店勤務を経て、1933年(昭和8)取締役となる。1939年会長に就任し、戦時中の三井財閥のリーダーとして手腕を振るった。1943年、中国での穀物取引について軍部に糾弾され辞任。第二次世界大戦後、1945年(昭和20)12月貿易庁長官となるが公職追放。三井財閥解体後も裏面からその結束を支えた。日本化薬などの取締役を歴任し、1952年第四次吉田茂内閣蔵相となる。しかし貯蓄国債発行反対の立場をいれられず留任を断り下野する。その後、中国との貿易推進や三井財閥再建に尽力した。
[小田部雄次]
『向井忠晴著、向井忠晴追想録編纂委員会編・刊『追想録向井忠晴』(1986)』