名古屋玄医(読み)ナゴヤゲンイ

デジタル大辞泉 「名古屋玄医」の意味・読み・例文・類語

なごや‐げんい【名古屋玄医】

[1628~1696]江戸前期の医師京都の人。あざなは閲甫・富潤。号、宜春庵・丹水子・桐渓。古医方説を唱えた。著「医方問余」など。

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精選版 日本国語大辞典 「名古屋玄医」の意味・読み・例文・類語

なごや‐げんい【名古屋玄医】

江戸初期の漢方医。姓は名護屋とも。字は閲甫。号は丹水子、宜春庵。京都の人。張仲景の書に学び、古医方を唱導。著「難経註疏」など。寛永五~元祿九年(一六二八‐九六

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「名古屋玄医」の意味・わかりやすい解説

名古屋玄医
なごやげんい
(1628―1696)

江戸初期の医師。京都の人。名護屋玄医とも書く。字(あざな)は閲甫(えっぽ)または富潤といい、宜春庵(ぎしゅんあん)、丹水子、桐渓と号す。儒学を羽州宗純について学び、周易と占法をよくしたが、のち医学を志した。中国明(みん)の喩嘉言(ゆかげん)(1585―1664ころ)の『傷寒尚論』を読んでこれに共鳴し、医学復古の説を唱え、当時盛んであった後世(ごせい)派の医説、李(り)・朱の医方を排して、後漢(ごかん)の張仲景(ちょうちゅうけい)の『傷寒論』を紹介し、その実証精神に戻ることを主張した。これをもって彼は古医方派の始祖とされる。生来、多病で晩年にはつねに病床にあったが、多くの患者に接し、多数の医書を著した。『難経註疏(ちゅうそ)』『金匱(きんき)註解』『医方問余(もんよ)』『丹水子』『食物本草』などが知られている。

[大鳥蘭三郎]

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改訂新版 世界大百科事典 「名古屋玄医」の意味・わかりやすい解説

名古屋玄医 (なごやげんい)
生没年:1628-96(寛永5-元禄9)

江戸初期の医家。京都に生まれ,姓は名護屋とも書く。字は閲甫また富潤,丹水また宜春庵と号した。経書を羽川宗純に学び医学は壮年になって志した。明の喩嘉言の《傷寒尚論》《医門法律》を読んで開眼し,当時盛行の李朱医学を捨てて医学の源流にさかのぼり張仲景の古医方にかえることを唱えた。これは伊藤仁斎の儒学における古学提唱より十数年早く時流にさきがけるものであった。諸藩からの仕官の招きもことわり在野で活躍し,40余歳で腰脚麻痺・両手不随となったが気力は少しも衰えず,診療に従事するとともに著作に打ち込んだ。著書に《医方問余》《用方規矩》ほか多数がある。
古医方
執筆者:

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「名古屋玄医」の解説

名古屋玄医
なごやげんい

1628.3.21~96.4.18

江戸前期の京都の古方派の医師。字は閲甫,号は丹水子・宜春庵。京都生れ。中国明末の1646年に上梓された喩嘉言(じゅかげん)著「尚論篇」を読み,治病の原点を後漢の張仲景著とされる経験的処方を主とした「傷寒論」におくことを悟り,はじめて古医方を唱導した。儒学における伊藤仁斎らの古学派とともに古医方隆盛の端緒をひらいた。著書「難経註疏(ちゅうそ)」「金匱(きんき)要略註解」「医方問余」。墓所は京都市上京区の浄福寺

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「名古屋玄医」の解説

名古屋玄医 なごや-げんい

1628-1696 江戸時代前期の医師。
寛永5年3月21日生まれ。はじめ経書をおさめ,のち明(みん)(中国)の「傷寒尚論」などの医学典籍にまなぶ。張仲景らの考えにならい,独自の生命観にもとづき古医方をおもんじた。門弟に並河天民らがいる。元禄(げんろく)9年4月18日死去。69歳。京都出身。字(あざな)は富潤,閲甫。号は丹水子,宜春庵,桐渓。著作に「金匱(きんき)註解」「医方問余」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「名古屋玄医」の意味・わかりやすい解説

名古屋玄医
なごやげんい

[生]寛永5(1628)
[没]元禄9(1696)
江戸時代初期の医師。京都の人,字は閲甫または富潤。号は丹水子,宣春庵,桐渓。古医方の始祖。まず経書を羽州宗純に学び,周易占法に精通し,医を学んだ。明の喩嘉言の『傷寒尚論』を読んで発奮して,張仲景を師とし,医方復古を唱道するかたわら,広く病客に接した。この間にたびたび官命があったが固辞した。著書に『医方問余』『金匱註解』『医方規矩』『脈要源委』などがある。

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旺文社日本史事典 三訂版 「名古屋玄医」の解説

名古屋玄医
なごやげんい

1628〜96
江戸前期の医学者
京都の人で,明の喩嘉言 (ゆかげん) の著『傷寒尚論』を読んで医学を志した。当時の医学の空理空論を攻撃し,臨床実験を尊重,後漢の医学復古を唱え古医方の祖となった。著書に『医方問余』『丹水子』など。

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367日誕生日大事典 「名古屋玄医」の解説

名古屋玄医 (なごやげんい)

生年月日:1628年3月21日
江戸時代前期の医師
1696年没

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世界大百科事典(旧版)内の名古屋玄医の言及

【抜歯】より

…また縄文中・後期の側切歯抜去は,晩期のあり方からすると婚姻関係成立時に左右を抜き分けた可能性がある。【春成 秀爾】
【医療としての抜歯】
 医療としての抜歯は,日本では名古屋玄医の著した《医方問余》(1679)に記載されており,ある薬剤を歯肉に用い,歯を弛緩させて脱落させたという。一方,西欧では,古代ギリシアですでに抜歯鉗子が用いられており,てこ(梃子)は11世紀ころから用いられ,16世紀ころの抜歯鉗子とてこは現代のものと大差がない。…

※「名古屋玄医」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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