吉際村(読み)よしぎわむら

日本歴史地名大系 「吉際村」の解説

吉際村
よしぎわむら

[現在地名]平塚市吉際

西南境をたま川、東を笠張かさはり川が流れ、東は大神おおかみ村、西は小稲葉こいなば(現伊勢原市)、北は長沼ながぬま(現厚木市)に接する。大山道が東北に通る。小稲葉村に飛地一畝二六歩がある。元禄郷帳には「大神村之枝郷吉際村」とみえる。分村時期は不明。近世は初め幕府直轄領と旗本小河領の二給。元和元年(一六一五)旗本小河・小栗領と幕府直轄領の三給。元禄一〇年(一六九七)旗本加藤・小河領の二給。

享保一六年(一七三一)九月の玉川川浚えにつき連判証文(平塚市史二)によれば、当時玉川の川床がいっそう高くなり、障害となる竹木を伐取っても水はけが悪いため、当村ほか大神、小稲葉・下落合しもおちあい(現伊勢原市)長沼の五ヵ村で申合せて人足を出し、上流から砂浚揚げが行われている。

吉際村
よしぎわむら

[現在地名]大田原市富池とみいけ

那須扇状地扇端部、集落池の御前いけのごぜんという湧泉地近くにある。東は寺方てらかた村、西は竹之内たけのうち村。天正一八年(一五九〇)大田原氏が豊臣秀吉から安堵された所領のうちの「ふな山内」四八一石余に含まれていたらしい(「大田原藩領知覚書」伊藤安雄文書)。寛文四年(一六六四)の大田原藩領知目録に村名がみえる。大田原宿大助郷を勤め、文化元年(一八〇四)頃の助郷高二一石(「大田原宿宿方明細書上帳」大田原市教育委員会蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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