吉野神宮(読み)ヨシノジングウ

デジタル大辞泉 「吉野神宮」の意味・読み・例文・類語

よしの‐じんぐう【吉野神宮】

奈良県吉野郡吉野町にある神社。旧官幣大社祭神後醍醐天皇。明治22年(1889)創建

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精選版 日本国語大辞典 「吉野神宮」の意味・読み・例文・類語

よしの‐じんぐう【吉野神宮】

奈良県吉野郡吉野町にある神社。旧官幣大社。後醍醐天皇をまつる。明治二二年(一八八九明治天皇発意により創祀。

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日本歴史地名大系 「吉野神宮」の解説

吉野神宮
よしのじんぐう

[現在地名]吉野町大字吉野山小字丈六

吉野川に架かる美吉野みよしの橋からの長峯道と、近鉄吉野神宮駅からの参道が合った地点に大鳥居がある。鳥居をくぐり桜の茂みを出ると境内丈六平じようろくだいらに入る。祭神は後醍醐天皇。旧官幣大社。明治二二年(一八八九)官幣中社吉野宮として創建、同二五年社殿竣工。後村上天皇作と伝える後醍醐天皇像を吉水よしみず神社(現吉野町)から遷座し、同三四年官幣大社となる。大正七年(一九一八)吉野神宮と改称した。毎年四月九日に春季祭礼、九月二七日に例祭が行われる。現社殿は昭和三年(一九二八)の竣工。流造の本殿、入母屋造の拝殿、切妻造の神門など全体が一つの伽藍造で、いずれも台湾阿里山の檜が用いられている。

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改訂新版 世界大百科事典 「吉野神宮」の意味・わかりやすい解説

吉野神宮 (よしのじんぐう)

奈良県吉野郡吉野町にある。吉野の行宮で没した後醍醐天皇をまつるため,1889年に官幣中社吉野宮が創建され,1901年に官幣大社となり,18年吉野神宮と改称された。境内は金峯山寺塔頭(たつちゆう)のあった所で,境内摂社として藤原資朝・俊基,児島範長高徳,桜山玆俊,土居通増得能通綱をまつる御影船岡,滝桜の3神社がある。台湾の阿里山のヒノキを用いて建てられた現社殿は,32年に完成した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉野神宮」の意味・わかりやすい解説

吉野神宮
よしのじんぐう

奈良県吉野郡吉野町吉野山に鎮座。後醍醐(ごだいご)天皇を祀(まつ)る。後醍醐天皇は建武(けんむ)中興政治が逆臣により瓦解(がかい)してのち吉野に入り、1339年(延元4・暦応2)この地で亡くなった。明治天皇は維新後、地元民の請願をいれ、その後醍醐天皇を祀る吉野宮の創建を決め、1892年(明治25)竣工(しゅんこう)、1901年(明治34)官幣大社とし、18年(大正7)吉野神宮と改称した。例祭9月27日(天皇崩御の日)。

[鎌田純一]

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百科事典マイペディア 「吉野神宮」の意味・わかりやすい解説

吉野神宮【よしのじんぐう】

奈良県吉野町吉野山に鎮座。旧官幣大社。1339年この地で死んだ後醍醐天皇をまつる。1889年創建。例祭は9月27日。
→関連項目吉野山

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デジタル大辞泉プラス 「吉野神宮」の解説

吉野神宮

奈良県吉野郡吉野町の吉野山にある神社。祭神は後醍醐天皇。1889年吉野宮として創建。1918年改称して現在の名となる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉野神宮」の意味・わかりやすい解説

吉野神宮
よしのじんぐう

奈良県吉野郡吉野町吉野山に鎮座する元官幣大社。祭神は後醍醐天皇ほか7柱。 1892年創祀。例祭9月 27日。

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