吉野源三郎(読み)ヨシノゲンザブロウ

デジタル大辞泉 「吉野源三郎」の意味・読み・例文・類語

よしの‐げんざぶろう〔‐ゲンザブラウ〕【吉野源三郎】

[1899~1981]ジャーナリスト東京の生まれ。岩波書店勤務し、岩波新書雑誌世界」を創刊護憲平和運動に尽力したことでも知られる。著作に「君たちはどう生きるか」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉野源三郎」の意味・わかりやすい解説

吉野源三郎
よしのげんざぶろう
(1899―1981)

ジャーナリスト。東京生まれ。1925年(大正14)東京帝国大学卒業明治大学講師を務めるが、山本有三の薦めで新潮社の『日本少国民文庫』の編集主任となる。のち岩波書店に入社(1937)。この年に書いた『君たちはどう生きるか』が評価を得る。敗戦後の1946年(昭和21)に総合雑誌『世界』を創刊、初代編集長になり、進歩主義立場にたった編集方針をとり続けた。そうしたなかで日本が単独講和全面講和かの選択を迫られる状況にたたされるが、『世界』は安倍能成(あべよししげ)、大内兵衛(ひょうえ)らを中心に平和問題懇話会を組織して全面講和論の発表舞台となった。1965年編集長を辞任、岩波書店編集顧問となる。

[清田義昭]

『『ジュニア版吉野源三郎全集』全3巻(1967・ポプラ社)』『『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)』

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改訂新版 世界大百科事典 「吉野源三郎」の意味・わかりやすい解説

吉野源三郎 (よしのげんざぶろう)
生没年:1899-1981(明治32-昭和56)

ジャーナリスト。東京に生まれる。1925年東京帝国大学哲学科を卒業。同大学図書館,明治大学などに勤務。37年岩波書店に入社,岩波新書の編集に携わる。戦後は46年に創刊された《世界》の初代編集長として,講和問題,憲法問題などの世論形成に大きな役割を果たし,岩波書店全体の編集責任者として65年までつとめたのち役職を辞任。平和運動に終始尽力した。著書に《君たちはどう生きるか》(1937),《人間の尊さを守ろう》(1948)などがある。
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百科事典マイペディア 「吉野源三郎」の意味・わかりやすい解説

吉野源三郎【よしのげんざぶろう】

編集者。東京生れ。1925年東京帝国大学哲学科を卒業。1937年岩波書店に入社,岩波新書の編集に関与。戦後は《世界》の初代編集長,また岩波書店全体の編集責任者として,講和問題・憲法問題などの世論形成や,平和問題談話会の設立など平和運動に努めた。著書に《君たちはどう生きるか》などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉野源三郎」の解説

吉野源三郎 よしの-げんざぶろう

1899-1981 昭和時代のジャーナリスト。
明治32年4月9日生まれ。山本有三のすすめで新潮社の「日本少国民文庫」を編集,みずからも「君たちはどう生きるか」を執筆。昭和12年岩波書店にはいり,13年「岩波新書」,21年「世界」を創刊。平和問題談話会の設立につくす。昭和56年5月23日死去。82歳。東京出身。東京帝大卒。

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世界大百科事典(旧版)内の吉野源三郎の言及

【世界】より

…第2次大戦の敗戦直後,岩波茂雄は,戦争への反省から,国民の間に批判精神を培う月刊雑誌の必要を痛感し,友人安倍能成らのすすめもあって,1946年1月創刊した。初代編集長吉野源三郎は,占領下,アメリカ一辺倒になりがちな情報をひろく世界にもとめ,平和と民主主義を基調とするこの雑誌の性格を確立した。とくに国論を二分した講和問題については,平和問題談話会メンバーをはじめ,あげて全面講和論を展開,非常な反響を呼んだ。…

※「吉野源三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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