吉見幸和(読み)よしみゆきかず

精選版 日本国語大辞典 「吉見幸和」の意味・読み・例文・類語

よしみ‐ゆきかず【吉見幸和】

江戸中期神道家、国学者尾張愛知県)の人。名古屋東照宮祠官浅見絅斎玉木葦斎垂加神道を学び、度会(わたらい)卜部の仏教的神道説を排撃。著「五部書説弁」「宗廟社稷答問」など。延宝元~宝暦一一年(一六七三‐一七六一

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デジタル大辞泉 「吉見幸和」の意味・読み・例文・類語

よしみ‐よしかず【吉見幸和】

[1673~1761]江戸中期の国学者・神道家。尾張の人。名は「ゆきかず」とも。名古屋東照宮の祠官。文献学的研究に専心。「五部書説弁」を著して、神道五部書偽書であることを論証ほかに著「神代正義」「神学弁疑」など。

よしみ‐ゆきかず【吉見幸和】

よしみよしかず(吉見幸和)

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改訂新版 世界大百科事典 「吉見幸和」の意味・わかりやすい解説

吉見幸和 (よしみゆきかず)
生没年:1673-1761(延宝1-宝暦11)

江戸中期の国学者,神道家。尾張の人。通称定之助,恭軒または風水翁,風水散人と号す。尾張藩主徳川綱誠に仕え,名古屋東照宮の祠官となり,刑部大輔に任じ,正四位下に叙せられた。後左京大夫に昇進,在職33年で致仕の後89歳で没した。儒学を浅見絅斎(けいさい),神道を玉木葦斎(いさい)に,和歌を僧契沖に学び,和漢の学を重ね,有職故実(ゆうそくこじつ)に暁通していたが,家は代々神道家であったため幸和の本領も神学にあり,当時の神道家の弊習を矯正し,垂加流より出てみずから一派を成した。考証的学風によって《神道五部書》が偽書であることを解明して《五部書説弁》を著した。そのほか《神代正義》《神学弁義》などの著作がある。徳川中期になると考証的学風が勃興し,儒学においては徂徠学が従来の程朱学に対し自由討究の学問を提唱した。神道においても秘伝重視の垂加神道に対し,垂加神道の中から秘伝批判の学説が勃興する。それが神典批判の幸和の学問であった。
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朝日日本歴史人物事典 「吉見幸和」の解説

吉見幸和

没年:宝暦11.4.26(1761.5.30)
生年:延宝1.9.15(1673.10.24)
江戸中期の神道家。尾張国(愛知県)名古屋の人。名古屋東照宮の祠官吉見恒幸の子。通称は定之助,勝弥,定右衛門,左京大夫。号は恭軒,風水翁,嚢玄子,竜洞亭。名古屋東照宮の祠官に任じられたのは幸和の祖父園崎直勝の代からで,直勝は吉見幸勝と名を改め,その子恒幸の3男として幸和は生まれる。元禄7(1694)年長兄が病気のため家督を辞し,次兄は夭折だったため,幸和が後嗣となる。はじめ家学を修め,のち浅見絅斎に崎門学を,正親町公通,玉木正英に垂加神道を学ぶ。伊勢神道の中心的文献である『神道五部書』を偽書とする『五部書説弁』(大神宮叢書所収)を著したのは元文1(1736)年,64歳のときであった。同4年には『増益弁卜抄俗解』を著し,吉田神道を批判する。寛保2(1742)年,『五部書説弁』を伊勢神宮に奉納したのちの晩年は,神道全体の根拠であると考えた『日本書紀』の研究に集中し『神代正義』『神代尚絅』を完成させた。<参考文献>阿部秋生『吉見幸和』

(白山芳太郎)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉見幸和」の意味・わかりやすい解説

吉見幸和
よしみゆきかず

[生]延宝1(1673).尾張
[没]宝暦11(1761).4.26.
江戸時代中期の国学者,神道家。号は恭軒,風水翁。幼時尾張藩主徳川綱誠の近侍となり,22歳で病身の兄に代って家を継ぎ,名古屋東照宮の祠官となり,天野信景とともに『尾張風土記』の編集に参与。のち京都に上り,浅見絅斎に朱子学を,正親町公通,玉木正英に垂加神道を,契沖に和歌を学び,55歳で隠居したのちは著述に専念した。考証的学風により『神道五部書』が偽書であることを解明し,度会神道,吉田神道を批判した『五部書説弁』 (1736) が最も名高い。ほかに『神代正義』『神代直説』など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉見幸和」の解説

吉見幸和 よしみ-ゆきかず

1673-1761 江戸時代前期-中期の神道家。
寛文13年9月15日生まれ。名古屋東照宮の祠官(しかん)。正親町公通(おおぎまち-きんみち)らに垂加神道をまなぶ。享保(きょうほう)13年神職をやめ,文献学的研究に専念。史料をもとに神道各派を批判した。宝暦11年4月26日死去。89歳。字(あざな)は子礼。通称は定之助。号は恭軒,風水翁。名は「よしかず」ともよむ。著作に「神代正義」「五部書説弁」など。

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367日誕生日大事典 「吉見幸和」の解説

吉見幸和 (よしみゆきかず)

生年月日:1673年9月15日
江戸時代中期の神道家
1761年没

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世界大百科事典(旧版)内の吉見幸和の言及

【神道五部書】より

…中世には,神宮の伝承を歴史的に述べようとした前3書が神書として重んぜられていたが,近世になって山崎闇斎をはじめとする垂加流の神道家が,後2書の反仏教的な主張を高く評価したために,神道五部書という呼び方が一般にひろまった。五部書はいずれも奈良時代には成立していたと記されているが,江戸時代中期に吉見幸和が偽書であることを論証して以来,長い研究史を経て,鎌倉時代中期にまず後2書が作られ,ついで前3書が書かれたと考えられるようになった。五部書は,室町時代以降吉田神道,垂加神道などの神道家に尊重されたが,各書の間には思想的に一致しない部分もあり,神祇の伝承と密教,さらに中国の古典の所説等を習合して反仏教的な立場を主張しようとする論理には,とらえにくいところが少なくない。…

※「吉見幸和」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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