吉礼村(読み)きれむら

日本歴史地名大系 「吉礼村」の解説

吉礼村
きれむら

[現在地名]和歌山市吉礼

名草なくさ郡に属し、北西小手穂おてぼり村、東は口須佐くちすさ村、小名に堂垣内どうがいとがある。久安元年(一一四五)一一月一日付秦宿禰守利私領売渡状案(間藤家文書)にみえる名草郡三上みかみ院内吉礼郷の地で、中世三上庄に含まれる(海南市の→三上庄。永禄五年(一五六二)七月吉日付の湯河直春起請文(湯河家文書)によると、雑賀一揆の「南郷」のうちに「吉礼 次郎大夫殿」がみえる。

慶長検地高目録によると高一千三一石余。享保一一年(一七二六)の検地では高一千四八石余、うち新田二〇石余・古川荒外高三石六斗余・新田堤下成一斗余(西山東村誌)。「祖竹志」(湯橋家蔵)によると、普請によって寛永八年(一六三一)に「吉礼村なら原新田」「吉礼村新田」、同九年に「吉礼村なら原新田土置」ができている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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