吉田[町](読み)よしだ

百科事典マイペディア 「吉田[町]」の意味・わかりやすい解説

吉田[町]【よしだ】

広島県中部高田郡の旧町。大部分が丘陵性山地で,可愛(えの)川と多治比川の合流点付近に主集落があり,国道54号線が通じる。毛利氏発祥の地。米作を中心とした農業を行うほか,林業も営む。工業団地がある。郡山(こおりやま)城跡(史跡),戦国の武将吉川元春の墓がある。2004年3月高田郡八千代町,美土里町,高宮町,甲田町,向原町と合併し,安芸高田市となる。84.81km2。1万1598人(2003)。

吉田[町]【よしだ】

埼玉県西部,秩父市の西に接する秩父郡の旧町。山地が多く,東部赤平川,中部を吉田川が流れる。中心市街は近世市場町として発達イチゴキュウリなどを産し,畜産も行う。工業では,精密機器,弱電機などの企業が立地している。2005年4月秩父郡大滝村,荒川村秩父市へ編入。66.10km2。6008人(2003)。

吉田[町]【よしだ】

愛媛県南西部,北宇和郡の旧町。宇和島湾に突出する半島部を占める。予讃線が通じる主集落の吉田は陣屋町として発達し,京都風の街路を残す。立間(たちま)は県のミカン栽培の発祥地で,経営規模も大きく,機械化も進む。2005年8月北宇和郡三間町,津島町と宇和島市へ編入。48.12km2。1万2797人(2003)。

吉田[町]【よしだ】

鹿児島県鹿児島郡の旧町。鹿児島市の北に接し,九州自動車道が通じる。ベッドタウン化が著しい。水田が広く,麦,サツマイモも産し,キュウリなどのハウス野菜栽培,畜産,林業も営む。2004年11月鹿児島郡桜島町,揖宿郡喜入町,日置郡松元町,郡山町と鹿児島市へ編入。54.79km2。1万1849人(2003)。

吉田[町]【よしだ】

新潟県中部,越後平野の南部を占める西蒲原(にしかんばら)郡の旧町。中心の吉田は信濃川の支流西川の右岸にあり,河港,弥彦神社参道の茶屋町として発達し,越後線と弥彦線の交点をなす。綿織物・洋食器・機械製造が盛ん。2006年3月西蒲原郡分水町と市へ編入。32.00km2。2万4769人(2005)。

吉田[町]【よしだ】

静岡県南部,大井川河口部右岸の三角州を占める榛原(はいばら)郡の町。川尻を中心に浜名湖をしのぐウナギ養殖地。中心の住吉は漁網,綿織物を多産。北西部に東名高速道路吉田インターチェンジがある。20.73km2。2万9815人(2010)。

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世界大百科事典 第2版 「吉田[町]」の意味・わかりやすい解説

よしだ【吉田[町]】

埼玉県西部,秩父郡の町。人口6275(1995)。秩父盆地の北西部に位置し,荒川の支流吉田川が東流し,東縁を赤平(あかひら)川が北流する。町域の大部分は山地である。中心集落の下吉田は吉田川の谷口集落で,江戸時代には3・8の日に六斎市が立ち,絹やタバコの取引が行われた。農業は畜産が主で,コンニャク,シイタケなども産する。人口の減少が続き,過疎地域に指定されている。戦国時代に始まるといわれる竜勢花火で有名な椋(むく)神社は,秩父事件の際,蜂起した農民の集結地であった。

よしだ【吉田[町]】

新潟県中部,西蒲原(にしかんばら)郡の町。人口2万4663(1995)。信濃川分流の西川東岸の沖積低地に位置し,中心の吉田は西川舟運の重要な河港で,米や越後木綿の集散地として栄えた。大正初期に国鉄(現JR)越後線,弥彦線が開通し,舟運は衰えたが,両線の分岐点として鉄道交通の中心となった。昭和30年代後半から積極的な工場誘致が進められ,また隣接する燕市の洋食器関連工場が過密化したこともあって工場進出がめざましく,工業出荷額の伸びは県下でも上位である。

よしだ【吉田[町]】

静岡県南部,榛原(はいばら)郡の町。人口2万6475(1995)。大井川河口西岸に位置し,南は駿河湾に面する。北部の牧ノ原台地から中央部の平地を湯日(ゆい)川が南流し,駿河湾に注ぐ。台地は茶畑に,散居集落の多い平地部は水田に利用されている。大正期以来,駿河湾に面する南部の川尻を中心に,扇状地末端の豊富な地下水を利用してウナギの養殖が行われる。また吉田漁港では,白子(しらす)を主としてカツオ,キス,イカなどが水揚げされる。

よしだ【吉田[町]】

広島県中央部,高田郡の町。人口1万1726(1995)。可愛(えの)川の中流域に位置し,周囲を山に囲まれる。当町域一帯は平安時代末期に祇園社領吉田荘とされ,領家は花山院家,地頭は毛利氏であった。北東流する可愛川に多治比川が合流するあたり,沖積地にある吉田はその中心地で,南北朝期以降毛利氏はここに郡山(こおりやま)城を築いて本拠とし,1591年(天正19)毛利輝元が広島城に移るまで城下町として栄えた。

よしだ【吉田[町]】

愛媛県南西部,北宇和郡の町。人口1万3633(1995)。北には高森山(635m)など法花津(ほけづ)連峰がつらなり,西はリアス海岸で宇和海に面し,宇和島湾に大良(おおら)半島が突き出ている。法花津湾北岸の法花津には,戦国期,西園寺氏の麾下(きか)にあって一帯を支配し,〈法花津殿〉と称された清原氏の本城があった。宇和島湾奥,立間(たちま)川の三角州上にある中心集落の吉田は,1657年(明暦3)伊達宗純が宇和島藩から3万石を分知されてのち,吉田藩陣屋町として発展したところ。

よしだ【吉田[町]】

鹿児島県中部,鹿児島郡の町。1972年町制。人口1万1184(1995)。薩摩半島基部に位置し,北部は姶良(あいら)平野南西端にあたる。南の鹿児島市との境には標高500mほどの丘陵性山地が連なるため,以前は北の蒲生町や姶良町重富との結びつきが強かった。1926年に鹿児島市から吉田町を通り蒲生町に至る県道が開通,さらに73年には九州自動車道の薩摩吉田インターチェンジが設置されたため鹿児島市の勢力圏に入るようになり,現在はそのベッドタウンとして発展している。

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