吉津御厨(読み)よしづのみくりや

日本歴史地名大系 「吉津御厨」の解説

吉津御厨
よしづのみくりや

神前かみさき湾内の神前浦付近を吉津港と称している。神前浦より河内こうち辺りの地と考えられる。安貞二年(一二二八)八月五日の七条院処分目録案(東寺百合文書)の伊勢国に「吉津御厨 可被止本所」と記されるが、「志摩国歟」と注されている。正和三年(一三一四)七月三日の尊治親王令旨案(同文書)にも七条院御領一七ヵ所のうちに吉津御厨がみえる。同時にこの日この一七ヵ所を四辻入道親王が管領すべしとされている。尊治親王はのちの後醍醐天皇。その後の所見はないが、七条院領のいくつかは大覚寺統に伝領されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報