吉備稚姫(読み)きびのわかひめ

朝日日本歴史人物事典 「吉備稚姫」の解説

吉備稚姫

生年生没年不詳
5世紀後半から6世紀初頭,雄略天皇の妃。吉備上道臣または吉備窪屋臣の娘。別伝では毛媛といい,葛城玉田宿禰の娘と伝える。『日本書紀』によると,上道臣田狭の妻であったが,雄略天皇が奪い,星川稚宮皇子らを生む。天皇死後,皇子に反乱をすすめるが敗北する。

(小林茂文)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報