朝日日本歴史人物事典 「吉住小三郎(4代)」の解説
吉住小三郎(4代)
生年:明治9.12.15(1876)
明治から昭和にかけての長唄唄方。東京生まれ。3代目小三郎の義弟で,のち養子となる。明治23(1890)年に4代目小三郎を襲名し,同年に歌舞伎座での「京鹿子娘道成寺」に初出勤した。しばらくは歌舞伎座で活動していたが,26年に3代目杵屋六四郎(のち2代目稀音家浄観)と共に退座した。のちにふたりが中心となって,長唄を純粋鑑賞音楽として演奏する「長唄研精会」を35年に組織。その例会などで六四郎との合作や,または小三郎自身が作曲した新曲を発表しつつ演奏活動を行った。小三郎が単独で作曲したものに「鳥羽の恋塚」や「新平家物語」の中の「君立川」などがある。昭和38(1963)年に小三郎の名を実子小太郎に譲り,自らは慈恭と名乗った。芸風は初代常磐津林中や荻江節の影響を受け,軽妙な節回しが特徴的であったという。32年文化勲章を受章。小三郎の名跡は,平成期まで6代を数える。<著作>『芸の心』
(長葉子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報