司法職務定制(読み)しほうしょくむていせい

世界大百科事典(旧版)内の司法職務定制の言及

【検察制度】より


[日本における検察制度の沿革]
 日本が近代的検察制度を導入したのは,フランス法継受期の1872年(明治5)である。同年に太政官が発布した司法職務定制により,検察官にあたるものとして検事が置かれ,刑事裁判の請求および立会いに従事するものとされた。当初は,検事が公訴権を独占しておらず,裁判所が職権で審理を開始する場合も認められていたが,数次の司法職務定制改正や検察制度の理解の深化に伴い,不告不理の原則が確立され,検事が刑事訴追を行う専門機関として認知されていく。…

【裁判所構成法】より

…この法律が制定されるまでには,いくつかの重要な裁判所の構成に関する制度の変遷があった。明治維新後の1872年(明治5),政府は,最初の裁判所構成の定めとして司法職務定制(司法省職制並事務章程)を制定した。これは〈仮定ノ心得ヲ以テ施行可致事〉としたものではあったが全文28章108条よりなる精緻なものであった。…

【弁護士】より

…反面において,このような特徴は,今もなお法廷を主たる戦場とするヨーロッパや日本の通常の弁護士の眼から見ると,弁護士のビジネスマン化,プロフェッションからの離脱現象と映りかねず,そのような批判も跡を絶たない。
[日本の弁護士制度]
 (1)沿革 日本の弁護士制度は1872年(明治5)の司法職務定制により代言人が登場し,従来の弁護士禁止政策が解除(ただし刑事弁護士についての解禁は1882年)されたのに端を発する。76年に試験制度を導入して,これに合格した者にのみ代言人の資格を与えることとし,80年には代言人組合(弁護士会の前身)への加入を義務づけるとともに検事の監督下におくなど,明治政府は開明と統制という絶対主義の二つの相貌をもって代言人に対することになる。…

※「司法職務定制」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」