史弥遠(読み)しびえん(英語表記)Shǐ Mí yuǎn

改訂新版 世界大百科事典 「史弥遠」の意味・わかりやすい解説

史弥遠 (しびえん)
Shǐ Mí yuǎn
生没年:1164-1233

中国,南宋宰相。明州鄞県(現,浙江省寧波市)の人。字は同叔,諡(おくりな)は忠献。孝宗朝の宰相史浩の第3子。はじめ父史浩の蔭で1179年(淳煕6)に官に就き,87年科挙に合格して進士になった。昇進かさね,寧宗朝(1195-1224)なかば礼部侍郎になり,金と戦端を開いて敗れた強権宰相の韓侂冑(かんたくちゆう)を,楊皇后と結んで暗殺し,その功績で1208年(嘉定1)宰相に就任した。政治に無関心の寧宗のもとで楊皇后と結託して権力を伸ばし,寧宗が没するや,彼に反感を抱く皇太子の趙竑を廃して理宗擁立し,いわゆる定策の功によって,権力の独占的掌握は絶頂に達した。金との紛争は再燃し,各地で反乱が発生するにもかかわらず,自己の権力保持に執心し,内政外交両面にわたって政策や方針の確たるものをもたなかったが,皇帝の弱いことにつけいり,自己の党派を重用することで,26年間にも及ぶ史弥遠体制を維持し,強権をふるって南宋の政治をほしいままにした。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「史弥遠」の意味・わかりやすい解説

史弥遠
しびえん
Shi Miyuan; Shih Mi-yüan

[生]?
[没]紹定6 (1233).10.4.
中国,南宋の寧宗,理宗両朝の宰相。字は同叔。諡は忠献。孝宗朝の宰相史浩の第3子。淳煕14(1187)年の進士,累進して礼部侍郎となり,寧宗朝の初め,宰相韓侂冑を殺害してとの国交を回復し,その功により嘉定1(1208)年宰相となり,寧宗の没後,理宗の擁立に成功して権勢をほしいままにした。

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