可知郷(読み)かちごう

日本歴史地名大系 「可知郷」の解説

可知郷
かちごう

古代上道郡可知郷(和名抄)の郷名を継いだものか。吉井川河口の右岸付近に比定され、明治二二年(一八八九)には一帯大多羅おおだら村・目黒めぐろ村など五村が合併して可知村が成立している。建仁三年(一二〇三)の備前国麦惣散用帳(東大史料編纂所蔵)に、可知郷千住納沙汰として一四石六斗余、うち津納一四石六斗・郷未進二升余とあり、相模得業が収納責任者であった。元亨元年(一三二一)一〇月九日の後宇多上皇院宣(東寺百合文書)で京都東寺に寄進された上東じようとう豆田まめだ郷の荒沼一所の西は可知郷であった。なお文和三年(一三五四)一二月九日の後光厳天皇綸旨(泉涌寺文書)で、京都泉涌せんにゆう寺に安堵された地に「可知郷荒野」がある。


可知郷
かちごう

和名抄」高山寺本・東急本ともに訓を欠く。天平一七年(七四五)九月二一日付の智識優婆塞等貢進文(正倉院文書)にみえる「丹生郡勝郷」は当郷のことか。「越前志」は可知を「可礼」の誤記として近世山干飯やまかれい(現武生市)にあて、一方「大日本地名辞書」は「乎知」として越知おち(現丹生郡朝日町)の山谷一帯、現朝日あさひ町・現福井市としている。


可知郷
かちごう

「和名抄」高山寺本に「加知」の訓がある。郷域については現岡山市域に含まれる近世の可知・目黒めぐろ大多羅おおだら浅越あさごえ西庄にししよう吉原よしわら各村付近と推定されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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