可愛岳(読み)えのだけ

精選版 日本国語大辞典 「可愛岳」の意味・読み・例文・類語

え‐の‐だけ【可愛岳】

宮崎県北東部の山。標高七二八メートル。西南戦争時、西郷軍がこの山を越え鹿児島脱出した。

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デジタル大辞泉 「可愛岳」の意味・読み・例文・類語

え‐の‐だけ【可愛岳】

宮崎県北東部の山。標高728メートル。西南戦争のときに西郷軍がこの山を越えて鹿児島へ脱出。

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日本歴史地名大系 「可愛岳」の解説

可愛岳
えのたけ

延岡市と北川町の境界に位置する山。標高七二七・七メートル。西は祝子ほうり川の河谷、東は北川の河谷に面しているが、主稜は東西に長く、とくに山頂部は険しい断崖を連ねている。山頂・稜線部以外の山体の地質は中生代白亜紀の四万十累層群で、泥質千枚岩・砂岩・頁岩などからなるが、山頂部は花崗斑岩の岩脈が東西に露出している。第三紀中新世の大崩おおくえ山の花崗岩体の貫入に伴う割れ目マグマが併入して形成された環状岩脈で、可愛岳を最東端として行縢むかばき(八二九・九メートル)比叡ひえい(九一八メートル)矢筈やはず岳・丹助たんすけ(八一六メートル)などの花崗斑岩からなる山々が形成され、大崩山の南部を取巻くように位置している。

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改訂新版 世界大百科事典 「可愛岳」の意味・わかりやすい解説

可愛岳 (えのだけ)

宮崎県北部の延岡市の旧北川町と旧延岡市との境界にある山。標高728m。大分県境にある大崩(おおくえ)山地の南側を半円形にとりまく行縢(むかばき)山地の東端に位置する。山体は花コウ斑岩からなり,険しい崖が多く,山頂には鉾岩(ほこいわ)と呼ばれる巨岩がある。1877年西南戦争の際,西郷軍は俵野(ひようの)で官軍に包囲されたが,可愛岳を越えて脱出した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「可愛岳」の意味・わかりやすい解説

可愛岳
えのだけ

宮崎県北部、延岡市にある山。標高728メートル。花崗斑岩(かこうはんがん)の険しい山容で、祝子(ほうり)川の谷を隔てて、西の行縢山(むかばきやま)と一連の山列をなす。この岩脈は、西部にある大崩(おおくえ)山花崗岩の貫入に伴って形成され、可愛岳はその東端に位置する。山頂には鉾岩(ほこいわ)があり、これを弥生(やよい)時代のメンヒルとする説がある。東麓(とうろく)の俵野(ひょうの)には円墳があり、瓊瓊杵尊御陵(ににぎのみことごりょう)伝説地として、1895年(明治28)から宮内庁の管理下にある。また、西南戦争の激戦地の一つとしても知られ、敗れた薩摩(さつま)軍は険しい可愛岳越えをして、高千穂から鹿児島に逃れた。俵野に西郷隆盛(たかもり)宿陣跡資料館があり、遺品などが展示されている。

[横山淳一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「可愛岳」の意味・わかりやすい解説

可愛岳
えのだけ

宮崎県北東部,九州山地の東縁にある山。標高 728m。延岡市の中部に位置し,浸食により険しい山容を示す。西南戦争の際,西郷隆盛の率いる薩摩軍が山麓の谷で官軍に包囲され,夜中に可愛岳の天険を越え,米良荘,小林を経て鹿児島に逃れたことで有名。山頂に激戦の記念碑が建つ。建国にまつわる伝説の地で,山麓にニニギノミコト (瓊瓊杵尊) を祭神とする可愛神社,山頂に鉾岩 (ほこいわ) がある。

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世界大百科事典(旧版)内の可愛岳の言及

【北川[町]】より

…西部には祝子(ほうり)川渓谷や大崩(おおくえ)山があって,祖母傾(そぼかたむき)国定公園に指定されている。南端には可愛(えの)岳がそびえ,付近に西南戦争の西郷宿陣跡がある。【萩原 毅】。…

※「可愛岳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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