反コンベルソ暴動(読み)はんこんべるそぼうどう

世界大百科事典(旧版)内の反コンベルソ暴動の言及

【コンベルソ】より

…ユダヤ人の改宗者は西ゴートのカトリック化,13世紀の托鉢修道会による改宗勧誘などの際にも見られたが,1391年の迫害を契機とする改宗はその規模から見て極めて重要である。コンベルソは改宗後も以前と同様な職業にとどまったため,王権にとって有用な者が多く,社会的に高い地位につき,またブルゴス司教パブロ・デ・サンタ・マリアや年代記作者バレーラ,プルガールのように聖職者や文人として著名な人物も輩出したが,それ故に民衆の憎悪も激しく,1449年のトレド,73年のコルドバなどで反コンベルソ暴動が起こった。こうしてコンベルソは国内の政情不安の一因となり,また彼らの中にひそかにユダヤ教を信仰し続ける者もいたため,カトリック両王は80年カスティリャに異端審問所を設立して,コンベルソ問題の解決を図った。…

※「反コンベルソ暴動」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」