双六(読み)しごろく

精選版 日本国語大辞典 「双六」の意味・読み・例文・類語

しご‐ろく【双六】

〘名〙 「すごろく(双六)」の変化した語。
太平記(14C後)七「碁・双六(シゴロク)を打って日を過ごし」
※饅頭屋本節用集(室町末)「双六 シゴロクノサイ」

すぐ‐ろく【双六】

〘名〙 「すごろく(双六)」の古形
書紀(720)持統三年一二月(北野本訓)「双六(スクロク)を禁め断む」

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デジタル大辞泉 「双六」の意味・読み・例文・類語

すご‐ろく【双六/陸】

二人が盤を隔てて向かい合って座り、交互にさいを振って、出た目の数によって盤上の駒を進め、早く相手の陣に全部入れたものを勝ちとする遊び。インドに起こり、日本には奈良時代に中国から伝来。
紙面を多数に区切って絵を描いたものを用い、数人が順にさいを振って、出た目の数だけ区切りを進み、早く最後の区切り(上がり)に達した者を勝ちとする遊び。回り双六飛び双六とがある。絵すごろく 新年》「―の賽の禍福のまろぶかな/万太郎

すぐ‐ろく【双六】

すごろく」の古形。
「つれづれなぐさむもの、碁、―、物語」〈・一四〇〉

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「双六」の意味・わかりやすい解説

双六
すごろく

雙六とも書く。室内遊戯具の一つ。日本には、古く奈良時代に貴族社会の遊びとして行われていた盤(ばん)双六と、江戸時代これに着想を得て子供の遊び道具として発達した絵双六(紙双六)とがある。

[斎藤良輔]

盤双六

古代インドに始まり、『涅槃経(ねはんぎょう)』に「波羅塞戯(ばらそくぎ)」とあるのがそれとされる。これが中国に伝えられ、日本には武烈(ぶれつ)天皇時代(6世紀初め)に渡来したのが始めという。スゴロクの語は、朝鮮語のサグロクから転訛(てんか)したものといい、伝来系統が朝鮮半島を経由してきたとも考えられる。『日本書紀』持統(じとう)紀に「三年(689)十二月丙辰、禁断雙六(すごろくをきんだんす)」と禁令が発せられており、この点で当時すでに賭博(とばく)の具として流行していたことが想像される。また一説には、遣唐使吉備真備(きびのまきび)が735年(天平7)に唐土からもたらしたものともいわれる。なお、インドからヨーロッパに伝わったものはバックギャモンbackganmonとよばれる。1712年(正徳2)刊の『和漢三才図会』(寺島良安著)に、双六の文字は2個の賽(さい)の双方に六の目が出れば負けることはないことから名づけられたとある。

 盤双六の遊び方は、桜、黒柿(くろがき)などでつくった木盤を間にして両人対座し、黒白の駒石(こまいし)各15をそれぞれの陣に並べる。竹または木の筒に入れた2個の賽を交互に振り出し、その賽の目だけ、盤上の区画された線内に駒石を進め、早く敵陣に全部を入れた者を勝ちとする。賽の目の数には21種の変化があり、遊び方は複雑である。盤の形は時代によって多少異なっていたとみられるが、室町時代以後の記録によれば、盤の厚さ四寸(約12センチメートル。四季を表す)、幅八寸(約24センチメートル。八方を意味する)、長さ一尺二寸(約36センチメートル。12か月をかたどる)、縦に12の目を盛って横を三段に分け(天地人になぞらえる)、筒は三寸三分(約10センチメートル。須弥山(しゅみせん)の三十三天を表す)となっている。勝敗の鍵(かぎ)を握るものは二つの賽であり、自由にならぬ賽の運行が射倖心(しゃこうしん)をそそって人心を熱狂させ、「白河院は、賀茂川の水、雙六の賽、山法師、是(これ)ぞ朕(ちん)が心に随(したが)はぬ者と、常に仰せの有けるとぞ申伝へたる」(源平盛衰記)という挿話もある。したがって賭博にも盛んに用いられ、1254年(建長6)成立の『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』(橘成季(たちばなのなりすえ)著)の博奕(ばくえき)の条に「小野宮は、むかし惟高(これたか)のみこ(文徳(もんとく)天皇の皇子)の雙六のしち(質)に取り給へる所なり」とも記されている。戦国時代に入ってからはしだいにこの遊びは衰え、江戸時代中期ころまで行われたが、天保(てんぽう)年間(1830~1844)になった『柳亭記』(柳亭種彦著)に、「廃(すた)れし遊び雙六なり。予おさなき頃(ころ)雙六をうつ者百人に一人なり、されど下り端を知らざる童はなかりしが、近年もそれは廃れたり」と述べているように、それ以後急激に姿を消した。

[斎藤良輔]

絵双六

一枚の紙を線描きでいくつにもくぎり、それにさまざまな絵を描き入れたもの。江戸時代に登場しておもに子供の遊びとして流行し、現在でも行われている。古制の盤双六を源流としながら、子供向きに作り変えられたもので、一つの賽を振り転がし、絵に描かれた「振り出し」から賽の目の数だけ進んで、「上がり」へ早く着くのを勝ちとする。最初は宗教的な名目(みょうもく)双六(仏法双六)で、それが浄土(じょうど)双六となり、さらに娯楽性を加えて野良(やろう)双六、道中双六系のものが相次いで現れた。江戸中期以後には錦絵(にしきえ)版画の興隆に伴って絵双六が発達、振り出しから上がりまで順々に回って進む回り双六や、飛び双六といって賽の目の数によっていくつもの区画を飛び越えたり、また逆戻りしたりする変化を加えたものもでき、子供の正月遊びの道具となった。絵双六からは多くの種類が派生したが、浄土双六のなかから怪異の図だけを抜いて構成した化け物双六の最古のものといわれる「なんけんけれど化物双六」が1731年(享保16)正月吉日上梓(じょうし)となった点からみて、このころから正月の遊戯に用いられてきたと思われる。現在でもこれらの絵双六系のものが正月の遊びとして親まれ、テレビ、漫画などに題材をとったマスコミ双六に人気がある。

 浄土双六は、絵双六の最初のものといわれ、江戸初期に仏法の名目を初心の僧に教えるためにつくられた。それ以前に、文字で示した名目双六というものがあり、それからこの絵双六となったらしい。南、無、分、身、諸、仏の六字を刻んだ賽を振り、紙に描いた南閻浮州(なんえんぶしゅう)を振り出しに、仏に止まると上がりとする。この系統に野良双六がある。浄土双六に描かれた菩薩(ぼさつ)の絵が野良(郎)歌舞伎(かぶき)の俳優の姿に変わったもの。ほかに名目双六系統に、官職累進の模様を教える官位双六、野良双六の一種で人形見せ物などを絵の題材としたおででこ双六などがあった。道中双六は、東海道五十三次を扱った回り双六の一つで旅双六ともいい、貞享(じょうきょう)年間(1684~1688)浄土双六に倣ってつくられた。江戸を振り出しに京で上がる仕組みで、絵双六の代表的なものとして人気を集めた。

[斎藤良輔]


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山川 日本史小辞典 改訂新版 「双六」の解説

双六
すごろく

木製の盤をはさんで,2人で対局する遊び。白と黒の駒を各15ずつ並べ,筒にいれた2個のさいころの目によって駒を進め,早く相手の陣地に並べたほうが勝ち。インドが発祥地とされる。正倉院には数面の双六盤があり,「日本書紀」持統3年(689)条に「禁断双六」の記載がある。江戸時代になると,この盤双六から派生した絵双六が広まった。絵双六は1枚の紙を線でいくつにも区画したなかにさまざまな絵が描かれ,さいころを振って目の数だけ駒を進め,「上がり」とよばれる最終区画へ早く進んだ者を勝ちとした。絵双六は,江戸初期に仏教の教えを広めるための浄土双六に始まるという。絵柄は旅物語風な道中双六をはじめさまざまに工夫された。明治期以降は雑誌の付録として人気があった。

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日本文化いろは事典 「双六」の解説

双六

現在一般的に双六と呼ばれる絵双六〔えすごろく〕は絵を描いた紙を使い、サイコロを振って出た目の数だけコマを進め、ゴールを目指すという単純な遊びです。現在は絵双六を中心に、日本各地で遊ばれています。

出典 シナジーマーティング(株)日本文化いろは事典について 情報

普及版 字通 「双六」の読み・字形・画数・意味

【双六】そうりく

すごろく。

字通「双」の項目を見る

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