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新劇俳優。本名伴田五郎。中学生時代から芝居好きで,早大学生時代に〈新劇協会〉の畑中蓼坡(りようは)に師事して同劇団の公演《ワーニャ伯父さん》に出演,水谷八重子らとの〈わかもの座〉(1920結成)を経て,1924年築地小劇場創立同人となった。25年女優田村秋子と結婚。築地小劇場解散後は夫人とともに32年〈築地座〉を結成し,日本の近代創作劇上演運動を展開,小山祐士(ゆうし)ら多くの劇作家に創作の機会を与えた。左翼的イデオロギーに偏せず,近代日本の心理的・写実的演技樹立の実践家であった。37年発足の文学座はもともと友田夫妻を俳優に専念させるための新劇団だったが,友田は同年9月に出征し,10月に上海戦線で戦死した。
執筆者:石沢 秀二
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新劇俳優。本名伴田五郎(ともだごろう)。東京生まれ。少年時代に土方与志(ひじかたよし)を知り2人で素人(しろうと)劇団を結成、これは早稲田(わせだ)大学独文科進学後も続いた。1919年(大正8)畑中蓼坡(りょうは)の新劇協会で初舞台。翌年大学を中退して水谷八重子らとわかもの座を創立、第二次芸術座にも関係した。1924年築地(つきじ)小劇場に創立同人として加わり、1928年(昭和3)の久保田万太郎作『大寺(おおでら)学校』で新境地を開いた。築地小劇場解散後は夫人の女優田村秋子と劇団新東京をつくり、1932年に夫妻で築地座を結成、岸田国士(くにお)、久保田万太郎らの後援を得て、市民感覚にあふれた創作劇を上演し、一時代を築いたが、1936年解散。翌年に文学座の創立に加わったが、前後して赤羽工兵隊に入隊、10月上海(シャンハイ)郊外で戦没した。
[大笹吉雄]
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… 築地小劇場が小山内の急死によって分裂,解散(1929)した後,以降,右傾化する国家権力により後述の新協,新築地両劇団が強制的に解散させられる(1940)までの期間は,それまでの数多くの欧米近代劇上演によって刺激され,また培われてきた日本近代戯曲の,いわば真の開花期であり,また心理主義的なフランス近代戯曲の翻訳上演期でもあった。 いまだ翻訳劇優先であった築地小劇場を脱退した友田恭助・田村秋子夫妻は,1932年2月〈築地座〉を結成した。その上演55演目中,16演目がフランス近代心理劇を主体にする西欧近代戯曲で,39演目が日本の創作戯曲だった。…
※「友田恭助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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