原 嘉道(読み)ハラ ヨシミチ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「原 嘉道」の解説

原 嘉道
ハラ ヨシミチ


肩書
枢密院議長,法相,中央大学総長

生年月日
慶応3年2月18日(1867年)

出生地
長野県上高井郡

学歴
帝大法科大学(現・東大法学部)英法科〔明治23年〕卒

学位
法学博士

経歴
農商務省に入り参事官、鉱山監督官から、明治26年弁護士開業。民事訴訟花形として活躍、また刑事事件でも“豚箱事件”で友人の木内京都府知事を弁護、小林大阪検事長を人権侵犯で辞職に追い込んだ。この間三井、三菱、興銀などの顧問を兼ね財界に信を得た。昭和2年田中義一内閣の法相となり、治安維持法に死刑条項を追加。6年枢密院顧問官、13年副議長、15年議長。16年独ソ開戦後の御前会議松岡洋右とともに対ソ開戦を唱えた。また5〜13年中央大学総長を務めた。19年男爵。著書に「弁護士生活の回顧」。

没年月日
昭和19年8月7日

家族
長男=原 寛(植物分類学者)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「原 嘉道」の解説

原 嘉道
ハラ ヨシミチ

明治〜昭和期の法学者,政治家,弁護士 中央大学総長;枢密院議長;法相。



生年
慶応3年2月18日(1867年)

没年
昭和19(1944)年8月7日

出生地
長野県上高井郡

学歴〔年〕
帝大法科大学(現・東大法学部)英法科〔明治23年〕卒

学位〔年〕
法学博士

経歴
農商務省に入り参事官、鉱山監督官から、明治26年弁護士開業。民事訴訟の花形として活躍、また刑事事件でも“豚箱事件”で友人の木内京都府知事を弁護、小林大阪検事長を人権侵犯で辞職に追い込んだ。この間三井、三菱、興銀などの顧問を兼ね財界に信を得た。昭和2年田中義一内閣の法相となり、治安維持法に死刑条項を追加。6年枢密院顧問官、13年副議長、15年議長。16年独ソ開戦後の御前会議で松岡洋右とともに対ソ開戦を唱えた。また5〜13年中央大学総長を務めた。19年男爵。著書に「弁護士生活の回顧」。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「原 嘉道」の解説

原 嘉道 (はら よしみち)

生年月日:1867年2月18日
明治時代-昭和時代の弁護士;政治家。法務大臣;中央大学総長;法学博士
1944年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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