南蛮船(読み)なんばんせん

精選版 日本国語大辞典 「南蛮船」の意味・読み・例文・類語

なんばん‐せん【南蛮船】

〘名〙
南方のえびすの船。
※若狭国税所今富名領主代々次第(1196‐1423)「応永十五年六月廿二日に南蕃船着岸〈略〉彼帝より日本国王への進物等。生象一疋〈黒〉、山馬一隻、孔雀二対、鸚鵡二対、其他色々」
② 室町末期から江戸初期にかけて来航したポルトガルスペインの商船の称。蛮船・黒船ともいわれ、当時ヨーロッパで外航船主力であったガリオン・ガレウタと呼ぶ四、五百トンから千トン級の三~四檣の大型帆船。南蛮
南蛮寺興廃記(1638頃)「長崎の津に、南蛮船一艘着岸せり」

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デジタル大辞泉 「南蛮船」の意味・読み・例文・類語

なんばん‐せん【南蛮船】

室町末期から江戸時代にかけて、南洋方面から日本に来航した、スペイン・ポルトガルなどの外国船紅毛船

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百科事典マイペディア 「南蛮船」の意味・わかりやすい解説

南蛮船【なんばんせん】

中国中華思想の影響で,初めは広く南方から来た外国船を意味した。室町末期,ポルトガル人・スペイン人が南方からキリスト教の布教活動や貿易のために来航するようになると,西洋船をさして南蛮船とよんだ。南蛮船のアジア貿易進出で,琉球中継貿易衰退南蛮屏風には大型の南蛮船がよく描かれている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「南蛮船」の意味・わかりやすい解説

南蛮船
なんばんせん

16世紀後半から 17世紀にかけて来日したポルトガルやスペインなどの西洋人南蛮人と俗称したことから,彼らが乗って来航する貿易船を呼んだもの。初期には 500~1000t級の大型のカラックガレオン船が多かったが,17世紀に入ってからはガレオンとその小型化であるガレウタ (ガリオッタ) が多く来航していた。しかし江戸幕府の鎖国方針で,来航は一切禁止され,西洋ではオランダ船 (→紅毛船 ) のみが長崎での貿易を許された。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「南蛮船」の解説

南蛮船
なんばんせん

16世紀中頃から南方経由で日本に来航したヨーロッパ船の総称。主としてポルトガル船・スペイン船をさし,黒船ともいった。1543年(天文12)ポルトガル人の種子島漂着を契機に,薩摩国・豊後国・平戸・長崎などに来航し,貿易とともにキリスト教の布教活動を行った。ポルトガル船はインドのゴアからマカオ,スペイン船はマニラを中継地とし,季節風を利用して渡来した。船型に変遷がみられ,1639年(寛永16)の来航禁止に至るまでの期間,初期は大型のカラック,中期はガレオン,末期は小型化したガレウタに大別される。南蛮屏風には当時の南蛮船が特徴的に描かれている。

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旺文社日本史事典 三訂版 「南蛮船」の解説

南蛮船
なんばんせん

南方から来た船
ふつう16世紀中ごろから鎖国までの間,南蛮貿易のために来日したポルトガル・スペインの船をいう。1575年ころまでは「ナウ」と称する大型船(500〜1000トンくらい)。その後300〜450トンの小型船となり,さらに1618年以後は小型の「ガレウタ」が使われた。南蛮屛風の画題となる。

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世界大百科事典(旧版)内の南蛮船の言及

【若狭国】より

…遠敷の市場は建武のころには定期市となっており,さらに1407年(応永14)には〈日市〉すなわち常設市となった。小浜の市も南北朝期にはかなりの繁栄を見せていたし,小浜港の発展も顕著で,08年,12年には南蛮船が日本国王への進物などを舶載して着岸している。このとき使臣の宿をつとめた〈問丸本阿弥〉がいたように,問丸の発達もいちじるしかった。…

※「南蛮船」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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