南方熊楠(読み)みなかたくまくす

精選版 日本国語大辞典 「南方熊楠」の意味・読み・例文・類語

みなかた‐くまくす【南方熊楠】

民俗学者、生物学者。日本民俗学の創始者の一人。和歌山出身。アメリカ・イギリスに渡り、大英博物館東洋調査部に勤務しながら動植物学・考古学宗教学などを独学で研究。帰国後、和歌山県田辺で変形菌類などの採集・研究と民俗学の研究を行なった。著に「南方閑話」「十二支考」「南方随筆」など。慶応三~昭和一六年(一八六七‐一九四一

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デジタル大辞泉 「南方熊楠」の意味・読み・例文・類語

みなかた‐くまぐす【南方熊楠】

[1867~1941]生物学者・民俗学者。和歌山の生まれ。米国・英国に渡り、独学で動植物を研究し、各国語に精通。大英博物館に勤務し、論文などを執筆。帰国後は田辺市で粘菌の採集や民俗学の研究に没頭した。奇行の人として知られる。著「南方閑話」「南方随筆」「十二支考」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「南方熊楠」の意味・わかりやすい解説

南方熊楠
みなかたくまぐす
(1867―1941)

生物学者、民俗学者。和歌山県に生まれる。博覧強記、国際人、情熱の人として、日本を代表する人物の一人に数えられる。大学予備門(東京大学教養課程の前身)を中途退学してアメリカ、イギリスに渡り、ほとんど独学で動植物学を研究。イギリスでは大英博物館で考古学、人類学、宗教学を自学しながら、同館の図書目録編集などの職につく。1900年(明治33)に帰国後は和歌山県田辺(たなべ)町(現、田辺市)に住み、粘菌(ねんきん)類(変形菌類)などの採集・研究を進める一方、民俗学にも興味を抱き、『太陽』『人類学雑誌』『郷土研究』『民俗学』『旅と伝説』などの雑誌に数多くの論考を寄稿し、民俗学の草創期に柳田国男(やなぎたくにお)とも深く交流して影響を与えた。まとまったものとしては『十二支考』などが著名。

 南方が心血を注いで研究した粘菌類森林の中に生息する小生物であるが、明治政府の進めた神社合祀(ごうし)によって小集落の鎮守(ちんじゅ)の森が破壊されることを憂い、1907年から数年間にわたって激しい神社合祀反対運動を起こす。これが後の自然保護運動のはしりとして再評価されている。1929年(昭和4)には田辺湾内の神島(かしま)に天皇を迎え、御進講や標本の進献などを行う。南方没後の1962年(昭和37)両陛下南紀行幸啓の際、神島を望見した天皇は「雨にけぶる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」という御製を詠んで追懐した。和歌山県白浜町には南方熊楠記念館がある。

[井之口章次 2019年2月18日]

『『南方熊楠全集』10巻・別巻2(1971~1975・平凡社)』『『南方熊楠日記』全4巻(1987~1989・八坂書房)』『笠井清著『南方熊楠』(1967/新装版・1985・吉川弘文館)』『南方文枝著、谷川健一他編『父南方熊楠を語る』(1981・日本エディタースクール出版部)』『鶴見和子著『南方熊楠』(講談社学術文庫)』

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改訂新版 世界大百科事典 「南方熊楠」の意味・わかりやすい解説

南方熊楠 (みなかたくまぐす)
生没年:1867-1941(慶応3-昭和16)

生物学者,人類学・民俗学者。和歌山市の金物商の次男として生まれる。1883年和歌山中学を卒業し,上京して大学予備門に入ったが,石器や土器,動植鉱物の標本採集に熱中し,ついに退学した。同窓には秋山真之,正岡子規,芳賀矢一,本多光太郎などがいた。86年に21歳で渡米,一時ミシガン州立ランシング農学校に在籍したが,曲馬団の事務員となって中南米,西インド諸島を巡遊し,その間も各種の標本や地衣類,菌類の採集に努めた。92年イギリスに渡り,ロンドン学会の天文学懸賞論文に第1位となってその名を知られ,大英博物館東洋調査部員に任ぜられた。イギリスの科学雑誌《Nature》や《Notes and Queries》にもしばしば寄稿し,また当時亡命中の孫文と親交を結び,後年も交流は続いた。7年余の滞英ののち1900年に帰国,ふたたび和歌山,勝浦,那智を中心として隠花・顕花植物の採集とその分類整理に最晩年に至るまで没頭した。その一方で,《人類学雑誌》《植物学雑誌》《太陽》《日本及日本人》などに次々と寄稿して,その古今東西を兼ねた博大な学識と,ナチュラリストとしての着実な識見は高く世に評価された。しかし根っからの野人だった彼は,官学をはじめ体制側の権威に対する反抗心が一貫し,たとえば神社合祀への反対は過激な行動にまで及んだ。また一方,大蔵経,《法苑珠林(ほうおんじゆりん)》など大部の仏典を読んだ知識を駆使して,柳田国男らの日本民俗学に欠けていた歴史的観点を大いに補訂した。というよりは,そもそも日本に民俗学を根づかせたのは,彼によるヨーロッパ民俗学の導入であり,しかも彼はそれにグローバルで歴史的な肉付けを与えたのであった。

 彼の書く文章は,該博な知見に裏づけられながら,アカデミックなしかつめらしさはまったくなく,ときにはユーモアを交え悪口を挟み,読む者を飽かせない。とくに長大な履歴書や書簡類には興味深いものが多い。〈雑学者〉とそしられたり,〈百科学者〉と持ちあげられたり,また奇人として敬愛されもしたが,彼は一貫して在野の学者として,おのれの好むところに従い,それに徹した人であった。南方の主要な業績は,《南方熊楠全集》全12巻(平凡社)に集成されたが,菌類の膨大な図譜は未刊のまま残されている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「南方熊楠」の意味・わかりやすい解説

南方熊楠
みなかたくまぐす

[生]慶応3(1867).4.15. 和歌山
[没]1941.12.29. 田辺
植物学者,民俗学者,博物学者。幼少より記憶力にすぐれ,12歳までに『本草綱目』『諸国名所図絵』『大和本草』などを筆写。 1883年和歌山中学卒業。上京し翌年大学予備門 (旧制第一高等学校の前身) 入学。日本菌類 7000点採集の志を立てた。 86年病気退学。渡米。諸学校を転々とし,各種職業につき放浪。 91年キューバ島に渡り,地衣類新種ギアレクタ・クバナを発見。独立戦争に参加して負傷。翌年渡英。 93年イギリスの科学誌『ネイチャー』 Natureに『極東の星座』を寄稿。大英博物館で研究。 1900年帰国。 01年から熊野山中に入り粘菌類を採集。また,高等植物の採集も行なっていた事実が,保存されている数千点の標本から判明した。その後,和歌山県田辺に定住,06年田村まつゑと結婚。 07年神社合祀令に反発し,反対運動を起した。 29年昭和天皇南紀行幸の際,田辺湾神島に回航した『長門』艦上で進講した。『十二支考』 (1914~24) はじめ,著書は『南方熊楠全集』 (12巻,1951) に収められている。

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百科事典マイペディア 「南方熊楠」の意味・わかりやすい解説

南方熊楠【みなかたくまぐす】

植物学者,民俗学者。紀州和歌山城下に生まれる。大学予備門中退後1886年米国,1892年英国に渡り,大英博物館嘱託として東洋文献目録を整理,かたわら《Nature》誌などに寄稿。1900年帰国,以後和歌山県田辺で変形菌(粘菌)の研究に従事しながら民俗学を中心とする膨大な著作を残した。彼の研究は柳田国男ら日本の民俗学に欠けていた歴史的観点を補訂した。博覧強記,奇行をもって知られる。《南方熊楠全集》12巻がある。
→関連項目鶴見和子

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「南方熊楠」の解説

南方熊楠 みなかた-くまぐす

1867-1941 明治-昭和時代前期の博物学者。
慶応3年4月15日生まれ。大学予備門を中退し明治20年渡米。のちイギリスで大英博物館嘱託となり,「Nature」誌などに寄稿。33年帰国後は和歌山県田辺町で粘菌類を研究,かたわら民俗学などの論文を多数執筆した。昭和16年12月29日死去。75歳。紀伊(きい)和歌山出身。著作に「南方閑話」「南方随筆」など。
【格言など】わが国特有の天然風景はわが国の曼陀羅(まんだら)ならん(神社合祀に反対する手紙の一部)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「南方熊楠」の解説

南方熊楠
みなかたくまぐす

1867.4.15~1941.12.29

明治~昭和前期の植物学者・民俗学者。紀伊国生れ。生物学を研究しながら中南米各地を放浪。1892年(明治25)に天文学論文が認められて,大英博物館東洋調査部に勤務。十数カ国語に通じ,イギリスの専門雑誌に多数の論文を寄稿。1900年に帰国,和歌山県田辺町に定住し,菌類や民俗学の研究を続けた。粘菌の研究は世界的に評価された。06年の神社合祀令に反発して反対運動を続けた。「南方熊楠全集」全10巻・別巻2。

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世界大百科事典(旧版)内の南方熊楠の言及

【キセルゴケ】より

…キセルゴケと異なり,蒴柄がごく短く(約3mm),蒴は長卵形である。南方熊楠が和歌山県熊野で発見した標本に基づき命名された。【北川 尚史】。…

【田辺[市]】より

…貝ボタンの加工は著名。博物学者で,明治期の神社合祀令に強烈な反対運動を展開した南方熊楠(みなかたくまぐす)は当地出身で,その居宅が現存する。田辺湾上の小島神島(かしま)(天)は全島が暖地性の植物でおおわれる。…

【屁】より

…また,ヘロドトスの《歴史》第2巻162節には,エジプト人叛徒にそそのかされてこれにくみしたアマシスが,王アプリエスからの使者に対して馬上で尻を浮かして放屁し,これを王に届けよとあざけった話があり,これは侮辱行為としての放屁の例。屁を恥じ嫌ったのはアラビア人だと南方熊楠はいう。《十二支考》によれば,アラビアの商人アブー・ハサンが婚礼の宴席で放屁し,客たちは花婿である彼がこれを苦にして自殺せぬようにと聞こえぬふりをしたが,恥じ入った彼は逃げてインドに渡った。…

【目∥眼】より

…一方,ユダヤ教のタルムードや伝説の中にも邪視の話は少なくない。日本でも南方熊楠は随筆《小児と魔除》に邪視の例を数多く挙げている。《塵塚物語》巻三では魔物の目を見るなと警告している。…

※「南方熊楠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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