南丹(市)(読み)なんたん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「南丹(市)」の意味・わかりやすい解説

南丹(市)
なんたん

京都府中部にある市。北東部を福井県・滋賀県、南西部を兵庫県と接する。2006年(平成18)、北桑田(きたくわだ)郡美山町(みやまちょう)、船井(ふない)郡園部町(そのべちょう)、八木町(やぎちょう)、日吉町(ひよしちょう)が合併して市制施行、南丹市となる。市域北部は西流する由良(ゆら)川の上流一帯に広がる山間地で、奥深い山々の谷間から中、小の谷川が流れ出て狭小な耕地と集落が点在する。また中部も大堰(おおい)川の上流域の山間地で、その下流域の市域南部に平地が開ける。北東部を京都市から福井県小浜(おばま)市へ延びる国道162号(周山(しゅうざん)街道)が、西部を府道54号(同19号に連結)が縦走する。中、北部の交通事情はあまりよくない。市の中心部は南部域で、亀岡盆地の北部にあたり、JR山陰本線、京都縦貫自動車道、国道9号(山陰道・京街道)、国道372号(篠山(ささやま)街道)などが横断し、府道408、452号、国道477号などが交差している。篠山街道は古代の山陰道にあたる。

 南西部、大堰川支流の園部川沿いに開けた園部盆地は近世、園部藩主小出氏の城下町であった。1619年(元和5)に入部した小出吉親は小向(こむき)山北側を東流していた園部川を北側へ大きく迂回させ、町屋の場所を確保し、城下町を建設したという。園部城は園部川南岸、小向山とその東南に続く台地に築かれ、町並みは京街道沿いに形成された。城下はまた若狭街道にも通じ、宿場としても機能した。園部川、大堰川を利用した物資の積出も行われ、水陸交通、産業の中心地として栄えた。なお大堰川の所々に吉親の号を負う意閑(いかん)堰、意閑堤の名が残り、吉親による土木工事の一環がうかがわれる。また石塁や堀は、現在も各所残存。平地部の主産業は農業、そのほかの山間部では農業と林業兼業が多い。2016年北部一帯を中心に京都丹波高原国定公園に指定された。面積616.40平方キロメートル、人口3万1629(2020)。

[編集部]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android