南さつま(市)(読み)みなみさつま

日本大百科全書(ニッポニカ) 「南さつま(市)」の意味・わかりやすい解説

南さつま(市)
みなみさつま

鹿児島県、薩摩半島(さつまはんとう)南西部にある市。東シナ海に臨む。2005年(平成17)加世田市(かせだし)、川辺(かわなべ)郡笠沙町(かささちょう)、大浦町(おおうらちょう)、坊津町(ぼうのつちょう)、日置(ひおき)郡金峰町(きんぽうちょう)が合併して成立。市域は薩摩(さつま)半島の南西部、および野間(のま)半島に展開。西は東シナ海に臨み、西南方の海上に浮かぶ宇治群島(うじぐんとう)と草垣群島(くさがきぐんとう)を含む。中央部のやや北寄りを、支流の加世田川を合わせた万之瀬川(まのせがわ)が西流する。地形は金峰山、長屋(ながや)山、野間(のま)岳などの山地丘陵台地沖積平野、海岸部の砂丘地帯などで構成され、起伏にとむ。国道270号が西部を南北に走り、226号が海岸部をめぐる。

 坊津は遣唐船の発着地で、唐僧鑑真(がんじん)の上陸地としても有名。中世には倭寇(わこう)の根拠地の一つで、海外貿易の拠点となった。また江戸時代には、鎖国下で行われた鹿児島藩による密貿易の基地であったという。加世田地区も中世には、万之瀬川の河口部が国内外交易の拠点となっていた。同地区の別府城(べっぷじょう)(加世田城)は、戦国期、島津氏諸家のなかで最も勢力があった薩州家島津氏の拠点の城となり、のち、島津氏を統一した島津忠良(伊作家当主で、相州家島津氏の家督を継承)も引退後に居城とした。

 現在、工業では製菓工場、焼酎(しょうちゅう)工場、宝石研磨工場、クエン酸工場などがあり、農業は特産のカボチャのほか平地で水稲作、丘陵地帯でミカンポンカン、茶などが栽培され、砂丘地帯ではピーマン、ラッキョウなどを栽培。片浦(かたうら)港、野間池(のまいけ)港などがあり、カツオ漁のほか、特産品の「いりこ」や「ちりめんじゃこ」のための沿岸漁業も盛ん。北部の砂丘海岸は吹上浜(ふきあげはま)県立自然公園に、坊津町地区から笠沙町地区にかけての亜熱帯植物が茂るリアス海岸は坊野間(ぼうのま)県立自然公園に含まれ、坊津町地区のソテツ自生地は特別天然記念物。坊津町地区の十五夜行事は国指定重要無形民俗文化財。大浦町地区の疱瘡(ほうそう)踊は県指定無形民俗文化財。面積283.59平方キロメートル(宇治群島などの面積を含み、鷹島などの面積は含めない)、人口3万2887(2020)。

[編集部]


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