五日市(いつかいち)憲法草案の起草者。嘉永(かえい)5年6月17日、陸前国栗原(くりはら)郡白幡(しらはた)村(宮城県栗原市志波姫(しわひめ))に平民として生まれる。父宅之丞(たくのじょう)は仙台藩の下級武士で、卓三郎誕生の直前に世を去り、生母とも幼くして生別した。12歳で蘭学(らんがく)を学び、17歳のときには農兵隊の一員として戊辰(ぼしん)戦争に従軍した。この白河(しらかわ)口の抗戦で「賊軍」の汚名を受け、そのときから新しい生き方を求めて流浪の生活を始めた。やがて東京・西多摩郡五日市の勧能学校に赴任し、ここで深沢名生(なおまる)・権八(ごんぱち)父子と出会う。この出会いで彼の才能は発揮され、深沢父子を含む五日市学芸講談会の青年民権家らと熱心な討論を重ね、憲法草案の起草という偉業を成し遂げた。明治16年11月12日に31歳で死去。遺稿に『王道論』などがある。
[色川大吉]
『色川大吉編『三多摩自由民権史料集』(1979・大和書房)』
1852.6.17~83.11.12
明治期の自由民権家。「五日市憲法草案」の起草者。仙台藩の下級士族の家に生まれ,戊辰戦争に参戦。のち離郷して医学・儒学・洋算・キリスト教などを学ぶ。神奈川県五日市町(現,東京都あきる野市)で小学校教師をしながら民権運動に参加し,指導的役割をはたす。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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