千宗左(4代)(読み)せん・そうさ

朝日日本歴史人物事典 「千宗左(4代)」の解説

千宗左(4代)

没年:寛文11.10.27(1671.11.28)
生年:慶長18(1613)
江戸前期の茶人。千宗旦の3男。母は真巌宗見。幼名十三郎。宗受,宗佐ののち宗左を名乗り,以後,表千家では宗左が家元の名となった。号は江岑。また堪笑軒,逢源斎とも号した。寛永19(1642)年,紀州徳川家に茶頭として出仕し,千家の経済的基礎をつくった。正保3(1646)年,宗旦より千家の家督を譲られ不審庵を継承,のちに分立する三千家の本家となった。これが今日の表千家で平成期の14代而妙斎におよんでいる。宗旦没後,宗旦時代の伝承が失われるのをおそれ,養子の5代宗左(随流斎)のために綴った『江岑夏書』などの茶書は,茶道史料として貴重である。<参考文献>千宗左(13代)編『元伯宗旦文書』,同編『表千家』,千芳紀「江岑宗左と随流斎」(『茶道雑誌』1993年11月号)

(熊倉功夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「千宗左(4代)」の解説

千宗左(4代) せん-そうさ

1613-1672 江戸時代前期の茶人。
慶長18年生まれ。千家3代千宗旦(そうたん)の3男。千利休曾孫。寛永19年紀伊(きい)徳川家につかえ茶頭(さどう)となる。正保(しょうほ)3年父より家督をゆずられ不審庵をつぐ。以後代々宗左を名のり表千家と称される。寛文12年10月27日死去。60歳。号は江岑(こうしん),堪笑軒,逢源斎。著作に「千利休由緒書」「江岑夏書(げがき)」。

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