千代田(区)(読み)ちよだ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「千代田(区)」の意味・わかりやすい解説

千代田(区)
ちよだ

東京都区部の中央にある区。1947年(昭和22)麹町(こうじまち)、神田(かんだ)の2区が合併して千代田区となる。地名の由来は、太田道灌(どうかん)が江戸城築城(1457)のとき、千代田・宝田・祝田(いわいだ)の3村があったからとも、また、江戸城の別名千代田城によるともいわれる。西の大半は山手(やまのて)台地で、東部の沖積低地との境の崖端(がいたん)は、神田山(駿河台(するがだい))、紅葉(もみじ)山(皇居)とよばれた。丸の内あたりはかつて日比谷(ひびや)入り江とよばれた浅海であり、江戸初期に埋め立てられた地で、徳川家康が1590年(天正18)江戸に入府してから発展した。区域はほぼ江戸城を中心に広がり、内城・丸の内・日比谷地区は御三家(ごさんけ)・親藩譜代(ふだい)大名の、また駿河台・番町(ばんちょう)・麹町地区は旗本・御家人(ごけにん)の各武家屋敷地となり、神田は町屋として繁栄した。東側と南側の外濠(そとぼり)は第二次世界大戦後、埋め立てられたが、ほかの部分は内濠とともに風致地区として残っている。

 1914年(大正3)東京駅が開設され、東京および日本の中心駅として、東海道・山陽、東北・山形・秋田、上越・長野の各新幹線、東海道本線、総武本線、中央、横須賀、山手、京浜東北、京葉のJR各線が集中している。都心にあるため、区内を通る地下鉄には銀座・丸ノ内・東西・千代田・日比谷・有楽町・半蔵門・南北線と、副都心線を除く東京地下鉄全線と、都営地下鉄三田・新宿・大江戸線がある。またつくばエクスプレスも通じている。道路では首都高速道路の都心環状線、1号上野線、4号新宿線、5号池袋線のほか、国道1号、4号、17号、20号が通る。東京駅の西側の大手町・丸の内地区は会社、銀行、官公庁が集まり、高層ビル街を形成、中央郵便局(2012年八重洲JPタワーに移転)などがあった。その南の有楽町駅付近は娯楽・商業地区で、日本最初の洋式公園の日比谷公園に接する。霞が関(かすみがせき)は外務省ほか政府機関が集中、永田町は国会議事堂を中心とする立法機関の地であり、神田神社とともに江戸の三大祭りで知られる日枝神社(ひえじんじゃ)がある。紀尾井町(きおいちょう)には上智大学(じょうちだいがく)やホテルがあり、隼(はやぶさ)町に最高裁判所、国立劇場がある。江戸城は1869年(明治2)東京遷都により皇居となったが、そのうち皇居外苑(がいえん)、東御苑(ぎょえん)、北の丸公園(日本武道館、科学技術館、国立近代美術館がある)は現在開放され、都心に貴重な緑地を提供している。西の九段に靖国神社(やすくにじんじゃ)、三番町に千鳥ヶ淵戦没者墓苑(ちどりがふちせんぼつしゃぼえん)がある。北東の神田地区は江戸時代の伝統を受け継ぎ、外神田には神田神社(神田明神)があり、秋葉原(あきはばら)地区には電器製品の店が集中している。神保町(じんぼうちょう)の書店街には、大小の書店・古書店が軒を並べる。お茶ノ水地区(神田駿河台)は大学の町で知られ、明治大学、日本大学やニコライ堂がある。神保町の書店街に続く小川町にはスポーツ用品店が多い。丸の内にあった東京都庁は1991年(平成3)新宿副都心に移転、跡地は会議室や展示ホールをもつ国際交流施設「東京国際フォーラム」(1997年開設)となった。日本の政治・経済の中心地である区内には代表的企業の本社や金融機関が集中するほか、新聞社や出版・印刷・製本業が多く、情報発信地ともなっている。ホテルも多い。都心にあって夜間人口の減少が著しかったが、2000年ころから微増傾向にある。面積11.66平方キロメートル(一部境界未定)、人口6万6680(2020)。

[沢田 清]

『『千代田区史』全3巻(1960・千代田区)』『『新編千代田区史』全5巻(1998・千代田区)』『『千代田まち事典』(2005・千代田区)』


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