十月革命(読み)じゅうがつかくめい

精選版 日本国語大辞典 「十月革命」の意味・読み・例文・類語

じゅうがつ‐かくめい ジフグヮツ‥【十月革命】

一九一七年一一月七日(露暦一〇月二五日)、ロシアに起こった革命。三月(露暦二月)にツァーリズムが崩壊したあと、臨時政府ボリシェビキが対立していたが、この革命によってレーニン指導者とするボリシェビキが臨時政府を倒し、世界最初の社会主義政権が成立した。十一月革命

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デジタル大辞泉 「十月革命」の意味・読み・例文・類語

じゅうがつ‐かくめい〔ジフグワツ‐〕【十月革命】

1917年11月7日ロシア暦10月25日)ロシアに起こった革命。二月革命後のケレンスキー臨時政府をボリシェビキが倒して、レーニンを首班とするソビエト政府を樹立、世界最初の社会主義国家建設の出発点となった。十一月革命。→ロシア革命

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百科事典マイペディア 「十月革命」の意味・わかりやすい解説

十月革命【じゅうがつかくめい】

第1次大戦末期,ロシア革命の頂点をなす革命。十一月革命とも。レーニントロツキー,スベルドロフらの指導で,1917年11月6日(ロシア暦10月24日)に始まった。同年の二月革命により帝政が崩壊した後,ケレンスキーの臨時政府とソビエトが並立する二重政権状態が生まれ,両者の抗争が続いていたが,平和・自由・土地・パンを求める民衆の支持を得て,10月末レーニンの指示でボリシェビキは権力獲得を決定,ペトログラード・ソビエトに軍事革命委員会を設置した。11月6日ボリシェビキはペトログラードで蜂起(ほうき),市内を鎮圧し,7日には冬宮の攻撃を開始し8日これを占拠して臨時政府を打倒した(11月7日,8日は革命記念日となった)。同時に開かれた第2回ソビエト大会は平和と土地に関する布告を発し,レーニンを首班とする暫定政府を選出,即時休戦,無併合無賠償講和,土地国有化,軍隊民主化,民族自決などの方針を決定。1918年1月憲法制定会議は解散され,第3回ソビエト大会で〈勤労被搾取人民の権利宣言〉が採択され,〈ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国〉の新国号が正式決定された。以後,列強の対ソ干渉戦争,反革命勢力との内戦の時代となった。
→関連項目アクセリロードカガノビチカデットカーメネフカリーニンゲラーシモフコルチャークコルニーロフコロンタイジェルジンスキー静かなドンジダーノフジノビエフセミョーノフソホーズチェーカーデニキンブハーリンプロレタリアート独裁ポリトビューローマヤコーフスキーマルクス=レーニン主義マルトフミリュコーフメイエルホリドメンシェビキリードロシア社会民主労働党

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「十月革命」の意味・わかりやすい解説

十月革命
じゅうがつかくめい
Oktyabr'skaya revolyutsiya; October Revolution

1917年 11月7日 (旧暦 10月 25日) ,ロシアで達成された世界最初の社会主義革命。新暦では十一月革命。二月革命ののち,主として有産階級を代表する自由主義的党派によって臨時政府が組織された。他方,二月革命の推進力となった民衆,兵士の力は各地に形成されたソビエトに結集し,政府とソビエトの二重権力状況が生れた。初めソビエトの指導権を握っていた社会革命党 (エス・エル) やメンシェビキ,さらにはボルシェビキの一部も臨時政府に協調的であったが,17年4月亡命地スイスから帰国したレーニンは,ソビエトに全権力を移す第2革命へただちに進むべきだという方針 (→四月テーゼ ) を打出した。政府の戦争継続を前提とする政策,一切の改革に対する不決断は民衆の不満をかきたて,ソビエト内少数派だったボルシェビキの支持者は次第に増加していった。政府とボルシェビキの対抗関係は一進一退を続けたが,同年9月反革命の L.G.コルニーロフ将軍の反乱を契機に,ボルシェビキの優位が決定的となった。 10月 23日 (旧暦 10日) 党中央委員会は武装蜂起の方針を決定,以後第2回全ロシア・ソビエト大会開催日を目標に準備が進められ,首都の守備隊も次々にソビエト支持に立った。蜂起は 11月6日 (旧暦 10月 24日) 夜から開始されたが,ほとんど抵抗も受けず,翌朝までに首都のすべての拠点が無血占領された。7日夜,政府の閣僚がたてこもる冬宮が陥落するや,ソビエト大会は,ただちに権力の掌握を宣言し,翌8日「平和に関する布告」「土地に関する布告」を採択し,レーニンを議長とする人民委員会議を設立,世界最初の社会主義権力を樹立した。 (→ロシア革命 )  

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改訂新版 世界大百科事典 「十月革命」の意味・わかりやすい解説

十月革命 (じゅうがつかくめい)
Oktyabr'skaya revolyutsiya

第1次世界大戦のさなか,1917年におこったロシア革命のもっとも重要な局面。労働者・兵士代表ソビエトを基礎として,レーニンを首班とするボリシェビキ党政権をつくり出し(11月7日,ロシア暦10月25日),マルクス主義に立つ社会主義の実現をめざす人類史上最初の革命となった。
ロシア革命
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「十月革命」の意味・わかりやすい解説

十月革命
じゅうがつかくめい

ロシア暦の1917年10月、臨時政府を倒し、ソビエト政権を生み出した革命。西暦では11月にあたり、「十一月革命」ともいう。

[編集部]

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デジタル大辞泉プラス 「十月革命」の解説

十月革命

旧ソ連の作曲家ドミトリー・ショスタコーヴィチの交響曲第2番(1927)。『十月』『十月革命に捧げる』とも呼ばれる。十月革命50周年を記念して作曲された。

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旺文社世界史事典 三訂版 「十月革命」の解説

十月革命
じゅうがつかくめい

ロシア革命

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世界大百科事典(旧版)内の十月革命の言及

【ロシア革命】より

…マルクス主義者をユーラシア大陸に広がる大国の権力の座につけ,社会主義の名のもとに新しい社会体制をつくり出す一方,反資本主義,反帝国主義の革命運動を全世界に拡大する火元を生み,世界史に革新的な作用を及ぼした。 革命は大きく分けて,1905年の革命(第1次革命)と17年の革命から成り,後者はさらに〈二月革命〉と〈十月革命〉に区分される。この〈十月革命〉は,ロシア革命の全過程の中で最も重要な局面を構成し,マルクス主義にもとづく社会主義社会の実現を目ざす政権を,人類史上初めて誕生させたことで知られる。…

※「十月革命」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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