十寸見河東(読み)マスミカトウ

デジタル大辞泉 「十寸見河東」の意味・読み・例文・類語

ますみ‐かとう【十寸見河東】

河東節太夫家元名。初世[1684~1725]は江戸の人で、通称天満屋藤十郎。江戸半太夫浄瑠璃を学び、のち河東節を創始。

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精選版 日本国語大辞典 「十寸見河東」の意味・読み・例文・類語

ますみ‐かとう【十寸見河東】

浄瑠璃河東節の太夫、家元。初世。河東節の祖。本名伊藤藤十郎。江戸日本橋魚商の子。音曲を好み、半太夫節を学ぶ。さらに式部節手品節を参酌し、享保元年(一七一六)河東節を樹立。貞享元~享保一〇年(一六八四‐一七二五

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改訂新版 世界大百科事典 「十寸見河東」の意味・わかりやすい解説

十寸見河東 (ますみかとう)

河東節の家元名で,江戸太夫河東ともいう。11世まであり初世がもっとも有名。11世以後は理事制をとる〈十寸見会〉が名義を保存している。初世(1684-1725)は河東節の祖。本名を伊藤藤十郎と伝える。江戸日本橋魚商の子で初世江戸半太夫の門に入り,半太夫節に手品節,式部節などを加えて1717年(享保2)春,江戸市村座で《松の内》を語って一派を樹立した。高弟に河丈(2世河東,?-1734),河洲(3世河東,?-1745)があり,初世山彦源四郎と河東節を完成させた。4世(?-1771)は3世の甥で,代表曲《助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)》を完成し,6世(1727-96)以降の劇場出演はこの曲以外は出演しなくなった。9世(1807-71)は中興名人といわれ,追善曲を多く作曲した。
河東節
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「十寸見河東」の意味・わかりやすい解説

十寸見河東
ますみかとう

河東節

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