北部仏印進駐(読み)ほくぶふついんしんちゅう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「北部仏印進駐」の意味・わかりやすい解説

北部仏印進駐
ほくぶふついんしんちゅう

1940年9月,第2次近衛文麿内閣下,日本軍が北部仏印 (フランス領インドシナ北部) に進駐を強行した事件。ヨーロッパにおけるドイツ軍の優位に呼応して,日本では南方進出への動きが高まり (→南進論 ) ,40年7月 22日に成立した第2次近衛内閣は,積極的に南進政策路線を推進した。7月 27日,大本営政府連絡会議は「世界情勢の推移に伴う時局処理要綱」を決定し,南方問題解決のためには状況によって武力行使もあるとした。9月 23日,米,英,仏などの中国援助のルート,すなわち援蒋ルートの遮断を理由に日本軍の北部仏印進駐が開始された。アメリカは日本の仏印圧迫に抗議していたが,9月 26日,屑鉄輸出禁止の措置をとった。 27日には日独伊三国同盟が調印され,アメリカ,イギリスとの対立は一層激化することになった。 (→南部仏印進駐 )  

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「北部仏印進駐」の解説

北部仏印進駐
ほくぶふついんしんちゅう

仏印進駐(ふついんしんちゅう)

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世界大百科事典(旧版)内の北部仏印進駐の言及

【仏印進駐】より

…日中戦争解決の目途を失った日本は,1940年6月フランスがドイツに降伏したのに乗じ,援蔣ルートの切断と東南アジア侵略の前進基地獲得をめざし,国境監視,日本軍の仏印領内通過,飛行場使用などをフランスに要求した。富永恭次参謀本部第1部長らの強硬意見にもとづき現地交渉の結果,9月22日平和進駐に関する協定が成立したが,23日現地の陸軍第5師団の一部が鎮南関付近で独断越境してフランス軍と交戦し,25日フランス軍は降伏した(北部仏印進駐)。そのため日本とアメリカ,イギリスとの対立が強まり,アメリカは9月26日屑鉄の対日禁輸を発表し,イギリスも10月18日援蔣ビルマ・ルートを再開した。…

※「北部仏印進駐」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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