北進論(読み)ほくしんろん

改訂新版 世界大百科事典 「北進論」の意味・わかりやすい解説

北進論 (ほくしんろん)

日本の対外政策の方向を朝鮮,中国東北,シベリアなど北方の大陸方面への帝国主義的膨張に求める主張。北進論は早くは幕末の思想界に登場するが,とくに明治からの近代日本が欧米列強に対峙して軍備増強と勢力圏拡大を目ざしたとき,国策を導く有力な主張となった。当初から武力侵略を目ざす北進論は軍国主義と深く結びつき,主として陸軍軍人,国家主義者右翼によって唱えられた。日清・日露戦争,韓国併合によって大陸侵略の立場を固めた日本は,辛亥革命ののち武力による満蒙地方(中国東北とモンゴル)の独占,中国山東省への勢力拡大を目ざして中国の民族主義との対立を深めた。またロシア革命に対してシベリア出兵を行い,その後日本陸軍は対ソ戦略をもっとも重視した。しかし日本の国策を導いたのは北進論のみではなかった。日清戦争後に始まる台湾の植民地経営や中国福建省への勢力拡大,南洋諸島委任統治にみられるように国策を導くもう一つの主張は南進論であった。しかし日本の南進政策は主として経済活動や移民による日本人町の形成など平和的手段をとり,そこに武力を背景とする北進論と南進論の大きな相違があった。ところが満州事変ののち日本の総力戦体制づくりの必要が高まると,軍部内の対立も起こり〈防共イデオロギーの立場から北進論を唱える皇道派に対し,資源確保の立場から南進論を唱える統制派の立場がしだいに重視され,1936年広田弘毅内閣が決定した〈国策の基準〉で日本の対外戦略として南北併進を定め,さらに41年御前会議で〈帝国国策遂行要領〉を決定し,南進論をもって太平洋戦争への道を歩むことになる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「北進論」の意味・わかりやすい解説

北進論
ほくしんろん

明治以降の日本による朝鮮,満州,シベリアなど大陸北方への進出論。日清戦争日露戦争日韓併合シベリア出兵満州事変などはその具体的現れであった。南進論が元来南方への経済的発展を目指したのに対し,北進論には武力による勢力拡大の傾向が強く,ロシアとの対抗を主眼とした。とりわけロシア革命以後は,共産主義国体を脅かすとして陸軍を中心に対ソ主戦論が唱えられた。一方海軍はアメリカ,イギリスなどを仮想敵国に南進論を主張し,両者が対立していたが,日中戦争の拡大とヨーロッパでのドイツ軍の優勢を背景に,陸軍も次第に南進論に傾き,南進政策が積極化し,太平洋戦争にいたった。

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百科事典マイペディア 「北進論」の意味・わかりやすい解説

北進論【ほくしんろん】

日本の大陸進出を朝鮮,満蒙,シベリア等北方に求めようとする主張。陸軍や国家主義者を中心に唱えられた。日清・日露戦争後は満蒙の権益強化を主張し,ロシア革命に対しては防共イデオロギーからシベリア出兵を行った。さらに満州事変を起こし対ソ戦争を目ざし,海軍の南進論と対立。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「北進論」の解説

北進論
ほくしんろん

韓国,満州を勢力下におき,ロシア・ソ連を仮想敵国とする陸軍主導の近代日本の軍事戦略。最初に明文化されたのは1907年(明治40)の「帝国国防方針」で,仮想敵国の第1位にロシアをあげ,10年韓国併合も行われた。この間北進論と南進論が併存し,競合関係のうちに推移した。満州事変の進展と対ソ戦の戦略的拠点確保の考え方は,反ソ・反共の陸軍皇道派の台頭とともに,北進論を優位においたかにみえた。しかしノモンハン事件の敗北と太平洋戦争の開始によって,南進が選択され,南方戦線維持のためにも陸軍みずからが北進論を抑制,戦力も南方へ転用されていった。

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