北越戦争(読み)ほくえつせんそう

改訂新版 世界大百科事典 「北越戦争」の意味・わかりやすい解説

北越戦争 (ほくえつせんそう)

戊辰戦争のうち越後中・北部戦争。江戸開城後も会津藩庄内藩などは抵抗の姿勢を示し,越後平野に出兵し,やがて奥羽越列藩同盟を結成する。新政府は,1868年(明治1)4月14日,薩摩藩,長州藩などを会津征討のため越後方面に出兵させ,高倉永祐を北陸道鎮撫総督に任命し,黒田清隆山県有朋参謀に起用した。新政府軍は,動向に疑惑をもたれた長岡藩めざして進撃し,5月に柏崎に本営を,小千谷関原に会議所を,高田に民政局を設立した。河井継之助に指導された長岡藩は,奥羽越列藩同盟へ走って頑強に抗戦し,長岡城の争奪戦を繰り広げた。戉辰戦争中,もっとも激しい焦土戦は,8月11日,村上藩の落城で終息した。居之隊らの,村役人を中心とする農兵隊の新政府軍支援も見られたが,各地で,兵夫供出などの戦時の負担に反対する百姓一揆も起こり,新政府軍も年貢半減令を出して,兵站へいたん)線の確保に努めねばならなかった。
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百科事典マイペディア 「北越戦争」の意味・わかりやすい解説

北越戦争【ほくえつせんそう】

戊辰戦争の一つで,1868年(慶応4年)閏(うるう)4〜8月,越後中・北部で行われた新政府軍(黒田清隆山県有朋を参謀とする北陸道鎮撫軍)と奥羽越列藩同盟軍との戦争。同盟軍は要所新潟港を押さえて武器補給河井継之助の指揮下に,長岡を中心に攻防戦を展開。新政府軍は戊辰戦争中最大の苦戦をしいられたが,7月末,長岡城を再度陥れて越後を制圧会津戦争への新局面を開いた。
→関連項目長岡藩

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「北越戦争」の解説

北越戦争
ほくえつせんそう

戊辰(ぼしん)戦争の際に越後国長岡周辺で展開された戦。1868年(明治元)5月2日,長岡藩は北陸道を進攻してきた新政府軍に進攻中止と会津藩謝罪の説得を願い出たが拒否され,4日奥羽列藩同盟に参加,越後諸藩もこれに続いた。19日新政府軍は長岡城を攻略,長岡軍は会津藩などの援軍をうけたびたび城の奪還をはかったが失敗,戦線は膠着状態となった。7月24日長岡藩は奪還に成功したが,29日に再び奪われ,新政府軍は越後を支配下において会津方面に兵力を集結した。

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