北条顕時(読み)ホウジョウアキトキ

デジタル大辞泉 「北条顕時」の意味・読み・例文・類語

ほうじょう‐あきとき〔ホウデウ‐〕【北条顕時】

[1248~1301]鎌倉中期の武将実時の子。父の志を継ぎ、金沢文庫を隆盛にした。金沢顕時

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精選版 日本国語大辞典 「北条顕時」の意味・読み・例文・類語

ほうじょう‐あきとき【北条顕時】

鎌倉中期の武将。実時の子。越路四郎時方という。引付衆評定衆・越後守を経て引付頭人となる。儒学禅学を学び、書籍収集金沢文庫を隆盛にした。金沢顕時とも。宝治二~正安三年(一二四八‐一三〇一

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朝日日本歴史人物事典 「北条顕時」の解説

北条顕時

没年:正安3.3.28(1301.5.7)
生年:宝治2(1248)
鎌倉後期の武将。初名は時方。法名・恵日。父は実時,母は政村の娘。夫人は遠藤為俊の娘,安達泰盛の娘(如大尼,京都の景愛寺開山),千葉泰胤の娘(六浦嶺松寺の開基)。鶴岡八幡宮門前邸宅を構え「赤橋殿」と呼ばれた。文永6(1269)年に引付衆,弘安1(1278)年に評定衆,同4年に引付頭人と経歴したが,同8年の霜月騒動により下総国埴生荘(千葉県)に籠居し,永仁1(1293)年の平頼綱の排除後に復帰し執奏となり,翌2年に執奏の廃止により引付頭人となった。父と同様に学芸に秀で,『小学』などを学ぶ一方,禅に傾倒し大休正念に師事し五山版の先駆けとなる『伝心法要』を開版した。また,正安3(1301)年には称名寺の梵鐘を改鋳した。顕時の花押は,北条氏の花押の類型である時政型,義時型のいずれにも属さない独特の花押である。なお,鎌倉の北条氏の抗争を伝える著名な「顕時書状」は南北朝期の偽作とされる。称名寺には顕時の画像が伝来し,五輪塔より出土した青磁壺は中国陶器の基準作として著名である。<参考文献>関靖『金沢文庫の研究』,佐藤進一「執権北条氏の花押について」(『金沢文庫研究』264号),百瀬今朝雄「北条(金沢)顕時寄進状・同書状案について」(『郷土神奈川』26号),前田元重「箱根宝篋印塔と大工前大和権守大蔵康氏」(『金沢文庫研究紀要』9号)

(福島金治)

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旺文社日本史事典 三訂版 「北条顕時」の解説

北条顕時
ほうじょうあきとき

1248〜1301
鎌倉後期の武将
実時 (さねとき) の子。金沢氏を称していたので金沢顕時ともいう。幕府の引付衆・評定衆を歴任。父実時の志を継ぎ,好学で書籍の書写につとめ金沢文庫の維持に尽力した。その蔵書は現在同文庫に収められている。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北条顕時」の解説

北条顕時 ほうじょう-あきとき

金沢顕時(かねざわ-あきとき)

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