北杜(市)(読み)ほくと

日本大百科全書(ニッポニカ) 「北杜(市)」の意味・わかりやすい解説

北杜(市)
ほくと

山梨県北西部にある市。2004年(平成16)北巨摩(きたこま)郡の須玉町(すたまちょう)、高根町(たかねちょう)、長坂町(ながさかちょう)、白州町(はくしゅうまち)、明野村(あけのむら)、大泉村(おおいずみむら)、武川村(むかわむら)が合併、市制施行して成立。2006年北巨摩郡小淵沢町(こぶちさわちょう)を編入。北西から北を長野県と接する。西部には赤石山脈北部の駒ヶ岳(2967メートル)、鳳凰三山(ほうおうさんざん)、北部には八ヶ岳、瑞牆(みずがき)山(2230メートル)、金峰(きんぷ)山(2599メートル)など標高2000~3000メートル級の山が聳える。中央を釜無(かまなし)川が東南に流れ、東部では須玉川が釜無川の支流塩川に合流する。JR中央本線、小海(こうみ)線、国道20号、141号が通じ、中央自動車道の須玉、長坂、小淵沢のインターチェンジがある。

 八ヶ岳山麓は縄文時代の遺跡の宝庫といわれ、南麓の金生遺跡(きんせいいせき)(国指定史跡)では前期から晩期の住居跡、配石遺構、石棺状遺構、土壙墓(どこうぼ)などが発見されている。古代には朝廷の真衣野牧(まきののまき)、後院領の小笠原牧などがあった。古代末期に甲斐源氏の逸見清光(へみきよみつ)が拠ったと伝える谷戸城跡(やとじょうあと)(国指定史跡)がある。鎌倉時代は釜無川右岸に甲斐武田氏の武川衆が分拠した。守護家武田氏の国内統一後は信濃方面への侵入路となり、武田信虎(のぶとら)が須玉川下流の若神子(わかみこ)に度々布陣している。若神子は甲州道中信玄の棒道、佐久(さく)往還などの分岐点にあたる。

 江戸時代はおおむね幕府領。釜無川沿いに甲州道中が通り、信濃国境に近い教来石宿(きょうらいししゅく)、台ヶ原宿が賑わい、上教来石村の山口に信州口の関門として口留番所があった。佐久往還には若神子宿のほか長沢に伝馬宿、口留番所があった。北部の八ヶ岳山麓は、第二次世界大戦後に開かれた開拓集落が多かったが、近年は別荘や宿泊施設、スポーツ施設などが充実した有数の高原保養地となっている。

 主産業は農業。武川米や尾白(おじろ)川流域で作る米は良質米として知られる。レタスなどの高原野菜、日照時間の長さを生かした浅尾ダイコン、リンゴやサクランボなどの果樹、花卉(かき)の栽培も行われている。酪農も盛んで、バルブ、電子部品などの工場も進出している。白州地区には広大な森林を擁するサントリー蒸留所があり、ミネラルウォーター、ウイスキーを生産する。

 八ヶ岳山麓一帯は八ヶ岳中信高原国定公園、瑞牆山一帯は秩父多摩甲斐(ちちぶたまかい)国立公園、鳳凰三山一帯は南アルプス国立公園に含まれ、隣接して南アルプス巨摩県立自然公園域がある。景勝地や増富(ますとみ)国民保養温泉地などの温泉にも恵まれ、保養のほかハイキング、登山などに訪れる観光客が多い。面積602.48平方キロメートル、人口4万4053(2020)。

[編集部]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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