北小野村(読み)きたおのむら

日本歴史地名大系 「北小野村」の解説

北小野村
きたおのむら

[現在地名]塩尻市北小野

中山道の塩尻宿から善知鳥うとう峠越えの伊那道(三州道)に沿い、小野川流域にある村。ここは伊那谷の北端で、上伊那郡辰野たつの町の小野と一連集落を成している。古くは小野牧があり、近世以前は伊那郡小野郷であった。氏神も現在は南の矢彦やひこ神社と北の小野神社が二社並び、ともに諏訪大社祭神を同じくし、信州二の宮とされる。古くから「たのめの里」(「たのも」ともいう)とよばれ、古歌にも詠まれている。語義は神社の八朔の祭に供える「田の実」すなわち稲の意であるという。

伊那谷と松本平を結ぶ交通の要地で、東山道も善知鳥峠越えで通じ、戦国期には武田信玄が軍用路として整備している。

北小野村
きたおのむら

[現在地名]小川町北小野

鎌倉時代から戦国時代にかけて小野・小野庄・小野村とよばれた地域の北部。東は下郷しもごう(現豊野村)山林を境とし、西は河江ごうのえ村、南は中小野なかおの村と耕地で、北は竹崎たけざき(現松橋町)荒尾あらお(山王山)の峰筋と耕地によって接する。慶長国絵図に村名がみえる。河江手永に属し、正保郷帳によると高三三八石二斗余、うち田方一七四石二斗余・畠方一六四石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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