匂坂中之郷村(読み)さぎさかなかのごうむら

日本歴史地名大系 「匂坂中之郷村」の解説

匂坂中之郷村
さぎさかなかのごうむら

[現在地名]豊田町東名とうめい

天竜川下流左岸にあり、西は七蔵しちぞう新田村。中世匂坂郷の遺称地。慶長七年(一六〇二)の伊奈忠次荒地開発定書(稲垣家文書)によると、中瀬なかぜ(現浜松市か)百姓が匂坂中之郷村の田地を過分に荒しているため、今後は中瀬村百姓に当村分九三石を相渡すこととされた。正保郷帳に中ノ江村とみえ、田方六〇石余・畑方二二石余、旗本加々爪杢助領。元禄郷帳では向坂中之郷村として高一二三石余。国立史料館本元禄郷帳・享保郷村高帳・旧高旧領取調帳ともに旗本渡辺領。「遠淡海地志」によれば家数二〇。東海道見付みつけ宿(現磐田市)の助郷役は中野戸なかのと村に同じ。文政二年(一八一九)匂坂中さきさかなか(現磐田市)匂坂西村との間の天竜川破堤により、「砂利高三尺」「大石高三尺五寸」「大石池成水中深六尺」という状態であった(弘化二年「御荒地取調書上帳」稲垣家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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