勝沼町(読み)かつぬまちよう

日本歴史地名大系 「勝沼町」の解説

勝沼町
かつぬまちよう

面積:三六・四八平方キロ(境界未定)

東山梨郡の南東部に位置し、北は塩山市、西は山梨市、南は東八代郡一宮町、東は大和やまと村。当町西部は甲府盆地の最東端にあたり平坦地であるが、南部と東部には標高一〇〇〇―一三〇〇メートルほどの山々が迫る。東部宮宕みやご山麓を水源とする深沢ふかさわ川が西流し、当町中央部を西流する川に合流する。江戸時代は日川右岸に沿って甲州道中が通っていたが、現在は塩山市から入り一宮町へ抜ける国道四一一号、大和村から一宮町へ抜ける国道二〇号、その南に並行するように中央自動車道が通り、勝沼インターチェンジがある。またJR中央本線が大和村からトンネルを抜け縦断、勝沼駅があったが、平成五年(一九九三)勝沼ぶどう郷駅と改称した。遺跡は縄文時代中期の宮之上みやのうえ遺跡、縄文時代中期および平安時代の寺平てらだいら遺跡などがある。また下岩崎しもいわさきやまには数基の古墳が点在している。

平安時代には「和名抄」記載の山梨郡能呂のろ郷に含まれたと推定されるが、等々力とどろき巨麻こま等力とどろき郷の遺称地とみなして、巨麻郡の飛地であったとする説もある。当町域には仏教文化が早くから根を下ろし、推古天皇時代の秦川勝創建という寺伝をもつ菱山の三光ひしやまのさんこう寺、等々力の万福まんぷく寺や、行基開創伝説をもつ柏尾の大善かしおのだいぜん寺などの古刹がある。大善寺には承和年中(八三四―八四八)三枝守国開創という寺伝もあり、現存する薬師三尊像が平安時代初期の様式である点は、守国なる人物の実在は疑わしいにせよ、この寺伝に一定の信憑性を与えている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android