助六由縁江戸桜(読み)すけろくゆかりのえどざくら

精選版 日本国語大辞典 「助六由縁江戸桜」の意味・読み・例文・類語

すけろくゆかりのえどざくら【助六由縁江戸桜】

歌舞伎脚本。世話物一幕。金井三笑・桜田治助合作。宝暦一一年(一七六一)江戸市村座初演。上方の「助六心中」が、江戸で侠客(きょうかく)花川戸助六と三浦屋の遊女揚巻の達引として現われたのは、正徳三年(一七一三山村座の「花館愛護桜(はなやかたあいごのさくら)」が最初で、助六を二世市川団十郎が演じた。以後洗練されて歌舞伎十八番の一つとなったが、現在は河東節によるこの名題に一定し、助六実は曾我五郎が、宝刀友切丸を捜すため吉原へはいり込み、揚巻に横恋慕する髭(ひげ)の意休にけんかをしかけ、刀を手に入れる筋とした。助六。

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デジタル大辞泉 「助六由縁江戸桜」の意味・読み・例文・類語

すけろくゆかりのえどざくら【助六由縁江戸桜】

歌舞伎十八番の一。世話物。一幕。正徳3年(1713)「花館愛護桜はなやかたあいごのさくら」の二番目として、江戸山村座で2世市川団十郎が初演。宝暦・明和(1751~1772)ごろ、現在の形がほぼ完成。くるわを舞台に、河東かとうを配した江戸歌舞伎の人気作品。通称「助六」。

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改訂新版 世界大百科事典 「助六由縁江戸桜」の意味・わかりやすい解説

助六由縁江戸桜 (すけろくゆかりのえどざくら)

歌舞伎狂言。世話物。1幕。通称《助六》。歌舞伎十八番の一つで3時間近く(現行1時間半から2時間)を要する華やかな大曲。1713年(正徳3),江戸山村座上演の《花館愛護桜(はなやかたあいごさくら)》で2世市川団十郎が助六に扮したのが初演とされる。これ以前上方では助六と揚巻を脚色した歌舞伎や浄瑠璃が上演されており,江戸へ移されての初演である。16年(享保1),2世団十郎が2度目の助六を演じたとき,助六が曾我五郎と結びついた。49年(寛延2),3度目の上演で,現行《助六》の形式がほぼ成立した。このときの浄瑠璃外題は《助六廓家桜》。《助六由縁江戸桜》の外題は,61年(宝暦11)3月,初世市村亀蔵(9世羽左衛門)が《江戸紫根元曾我》の二番目として演じたときの河東節の題《助六所縁江戸桜》に始まり,明治以降はこれが狂言名題としてほぼ固定した。洗練を重ね,7世団十郎の4度目の上演のとき(1832年),〈寿狂言十八番の内〉と記して,団十郎家の〈家の芸〉として完成した。

 助六は夜ごと吉原に現れ喧嘩をふきかけている。源家の重宝友切丸をさがすため相手に刀を抜かせるのが目的である。助六の馴染みの傾城揚巻に横恋慕する意休は,助六の悪態にあっても刀を抜かない。子分のかんぺら門兵衛や朝顔仙平に手向かわせるが,歯が立たない。助六の喧嘩ぶりに口をはさむ者がいる。見ると白酒売の姿をした兄十郎。兄は弟に意見しに来たのだが,友切丸詮議のためと聞き,自分も喧嘩の仕方を教わる。通りがかりの遊客に兄弟が股をくぐらせるなどのおかしな場面があり,次に揚巻に送り出された編笠の客にからむが,実は母の満江で,助六に喧嘩をやめるように紙衣(かみこ)を着せて帰る。この後,意休に罵倒されるが助六が我慢していると,図にのった意休が香炉台の足を曾我兄弟に見立てて切る。このとき抜いた刀を友切丸と見届け,意休を討ち果たして刀を取り戻す。この後に助六が捕手からのがれるため本水の入った天水桶に身を隠す場面を付ける場合もある。話の筋は単純であるが,場面転換の妙であきさせない。色彩美にもすぐれている。幕が開くと一面桜を配した吉原三浦屋の店先,豪華な衣装の揚巻や白玉,黒羽二重に紫の鉢巻をしめ,蛇の目傘を持った助六,白髪の意休,浅葱色の着物の十郎,浴衣の門兵衛と,登場者それぞれに個性があり,役柄の配分もよい。演技では荒事や和事の芸など,歌舞伎が蓄えた美学を十分にくりひろげる。また,その興行形態が歌舞伎と吉原や魚河岸との結びつきを示すもので,江戸期の歌舞伎の全体像を示す傑作である。なお,尾上家では《助六曲輪菊(くるわのももよぐさ)》の名題で多少演出を変えて上演する。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「助六由縁江戸桜」の意味・わかりやすい解説

助六由縁江戸桜
すけろくゆかりのえどざくら

歌舞伎(かぶき)劇。時代世話物。1幕。通称「助六」。歌舞伎十八番の一つ。侠客(きょうかく)花川戸(はなかわどの)助六実は曽我(そが)五郎は、宝刀友切丸(ともきりまる)詮議(せんぎ)のため吉原へ入り込み、愛人の三浦屋揚巻(あげまき)に横恋慕する金持ちの武士髭(ひげ)の意休(いきゅう)のもつ刀こそ友切丸と知り、意休を討って刀を取り返す。ほかにおもな登場人物は、助六の兄白酒売新兵衛実は曽我十郎、母満江(まんこう)、揚巻の妹分の傾城(けいせい)白玉(しらたま)、意休の子分のかんぺら門兵衛、朝顔仙平など。物語は単純だが、絢爛(けんらん)たる吉原仲の町を背景に、揚巻・白玉ら傾城の豪華な道中、揚巻の意休への悪態、助六が河東節(かとうぶし)を地に花道で美しい振(ふり)を見せる「出端(では)」、意休一味との啖呵(たんか)と悪態のやりとり、遊客に喧嘩(けんか)を売って股(また)をくぐらせる滑稽(こっけい)味、助六を意見する母の情愛、また省略されることも多いが、意休を斬(き)った助六が天水桶(おけ)の本水(ほんみず)に隠れる「水入り」のスリルなど、見どころは多い。

 本来は上方(かみがた)で生まれた「助六心中」の情話が江戸で脱化して侠客物になった作品で、1713年(正徳3)4月山村座で2世市川団十郎が初演した『花館愛護桜(はなやかたあいごのさくら)』に始まり、再演の『式例和(しきれいやわらぎ)曽我』(1716)以後は曽我狂言の一部に扱われ、五郎が宝刀詮議のため助六と変名するという構成が恒例になり、三度目の上演(1749)で現行の形式がほぼ定まった。地に河東節を使ったのは1733年(享保18)市村竹之丞(たけのじょう)所演の『英分身(はなぶさふんじん)曽我』からで、その浄瑠璃名題(じょうるりなだい)『助六所縁(ゆかりの)江戸桜』に基づいて、今日の狂言名題が生まれた。歌舞伎十八番に選ばれたのは1832年(天保3)の7世団十郎所演からである。なお、尾上(おのえ)菊五郎家では河東節にかえて他の浄瑠璃を使い、近年は清元(きよもと)地の『助六曲輪菊(くるわのももよぐさ)』に定まっている。

[松井俊諭]

『諏訪春雄編著『歌舞伎オン・ステージ17 助六由縁江戸桜ほか』(1985・白水社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「助六由縁江戸桜」の意味・わかりやすい解説

助六由縁江戸桜
すけろくゆかりのえどざくら

歌舞伎狂言。世話物。1幕。歌舞伎十八番の一つ。通称『助六』。正徳3 (1713) 年2世市川団十郎によって『花館愛護桜 (はなやかたあいごのさくら) 』の名題で初演。現名題は宝暦 11 (61) 年江戸市村座で金井三笑作『江戸紫根元曾我』2番目で初めて用いられ,のちに定着した。花川戸助六実は曾我五郎が名刀友切丸詮議のため吉原でけんかを売り,恋人の遊女揚巻に通う意休を待伏せて殺し,刀を奪い返す。母満江の意見のくだりに和事の系統が入っている。男達 (おとこだて) 助六は伊達な江戸っ子の理想像として演じられ,揚巻は傾城最高の役の一つ。桜の盛りの吉原を舞台にした,歌舞伎狂言のなかでも最も華麗な一幕。幕切れ近く,助六が天水桶の水に全身をつける「水入り」がつくのが本格的。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「助六由縁江戸桜」の解説

助六由縁江戸桜
〔河東〕
すけろく ゆかりのえどざくら

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
補作者
金井三笑 ほか
演者
十寸見河東(4代)
初演
享保18.1(江戸・市村座)

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世界大百科事典(旧版)内の助六由縁江戸桜の言及

【十寸見河東】より

…高弟に河丈(2世河東,?‐1734),河洲(3世河東,?‐1745)があり,初世山彦源四郎と河東節を完成させた。4世(?‐1771)は3世の甥で,代表曲《助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)》を完成し,6世(1727‐96)以降の劇場出演はこの曲以外は出演しなくなった。9世(1807‐71)は中興の名人といわれ,追善曲を多く作曲した。…

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