加藤シヅエ(読み)かとうしづえ

百科事典マイペディア 「加藤シヅエ」の意味・わかりやすい解説

加藤シヅエ【かとうしづえ】

政治家。東京都出身。本名静枝。旧姓広田。女子学習院中等科卒業。1919年に渡米し,秘書学を学ぶ一方産児制限を提唱したマーガレット・サンガーと出会う。1946年に第2次世界大戦後初の衆議院議員選挙で2番目の夫の加藤勘十(かんじゅう)とともに初当選。日本社会党に所属し,衆議院議員2期,参議院議員4期を務めた。1954年に結成した日本家族計画連盟の会長として,女性の地位向上の立場から家族計画(産児制限)運動に取り組み,1988年に日本人で初めて国連人口賞受賞。→産児制限運動

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加藤シヅエ」の解説

加藤シヅエ かとう-シヅエ

1897-2001 昭和-平成時代の婦人運動家,政治家。
明治30年3月2日生まれ。大正3年男爵石本恵吉と結婚。8年渡米しM.サンガーに共鳴,昭和6年日本産児調節連盟を設立した。女性解放運動を展開し,12年人民戦線事件で検挙される。19年加藤勘十と再婚。21年女性初の衆議院議員(当選2回,社会党)。25年参議院議員(当選4回)。49年政界を引退し,日本家族計画連盟会長。63年国連人口賞。平成7年家族計画国際協力財団会長に就任。平成13年12月22日死去。104歳。東京出身。学習院女学部卒。旧姓は広田。本名は静枝。著作に「ひとすじの道」など。

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世界大百科事典(旧版)内の加藤シヅエの言及

【産児制限】より

…〈生めよふやせよ〉運動の中で産児制限論は完全に日本からしめ出され,第2次世界大戦の渦中にまきこまれていった。 敗戦とともにいち早くふたたび産児制限の声を上げたのは加藤シヅエで,これをスローガンとして政治運動を開始した。そして47年には日本産児調節連盟が結成されて全国的な活動を展開し,地方自治体の中でも神奈川,岡山,福岡,茨城などがこの運動を取り上げ,群馬,栃木,青森,秋田等々には官民の活動が盛んになった。…

※「加藤シヅエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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