百科事典マイペディア 「加藤シヅエ」の意味・わかりやすい解説
加藤シヅエ【かとうしづえ】
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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…〈生めよふやせよ〉運動の中で産児制限論は完全に日本からしめ出され,第2次世界大戦の渦中にまきこまれていった。 敗戦とともにいち早くふたたび産児制限の声を上げたのは加藤シヅエで,これをスローガンとして政治運動を開始した。そして47年には日本産児調節連盟が結成されて全国的な活動を展開し,地方自治体の中でも神奈川,岡山,福岡,茨城などがこの運動を取り上げ,群馬,栃木,青森,秋田等々には官民の活動が盛んになった。…
※「加藤シヅエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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