加志岐別符(読み)かしきべつぷ

日本歴史地名大系 「加志岐別符」の解説

加志岐別符
かしきべつぷ

うや川の上流支流の加志岐川流域の山間盆地に成立した所領。現江津市有福温泉ありふくおんせん町と現浜田市下有福町を中心とする。貞応二年(一二二三)三月日の石見国惣田数注文に「つのゝかうの内ありふく」として「かしき 三丁五反百廿歩」とある。「つのゝかうの内ありふく」は「都野郷内有福」の意で、後代の書込みである。「和名抄」にみえる那賀郡都農つの郷の一部が開発されて成立した国衙領内の一別符名が起源であろう。有福の初見は徳治二年(一三〇七)一二月七日の六波羅探題下知状写(有福八幡宮旧蔵文書)である。この下知状には「賀志岐別符今者号有福」と割注が施されており、相論の一方の当事者である妙蓮は「賀志岐別符地頭有福伴三実長後家妙蓮」と称しているので、有福の古名が加志岐別符だったのであろう。この下知状によれば、建治元年(一二七五)加志岐別符は有福実長により五分の一が嫡子実保に、五分の四が後家妙蓮と子息道智に分割相続されている。ところが理由は不明だが、実保に分割された加志岐別符五分一は幕府に没収され、東国御家人狩野貞親に勲功の賞として与えられた。この相論は狩野貞親が後家妙蓮と道智分を押領しようとしたところに発生したらしい。正和元年(一三一二)七月二八日の狩野貞親和与状(閥閲録)によると、狩野貞親の所領加志岐別符五分一は、同じく東国御家人の越生光氏の武蔵国越生おごせ郷内岡崎おかざき(現埼玉県越生町)の田畑在家と交換された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android