加山 又造(読み)カヤマ マタゾウ

20世紀日本人名事典 「加山 又造」の解説

加山 又造
カヤマ マタゾウ

昭和・平成期の日本画家 東京芸術大学名誉教授。



生年
昭和2(1927)年9月24日

没年
平成16(2004)年4月6日

出生地
京都府京都市上京区相国寺東門前町

旧姓(旧名)
田辺

学歴〔年〕
京都市立美術工芸学校〔昭和19年〕卒,東京美術学校(現・東京芸術大学)日本画科〔昭和24年〕卒

主な受賞名〔年〕
新制作展新作家賞〔昭和26年・28〜30年〕,日本芸術大賞(第5回)〔昭和48年〕,芸術選奨文部大臣賞(第30回 昭54年度)「月光波涛」〔昭和55年〕,美術文化振興協会賞(第1回)〔昭和57年〕,神奈川文化賞(第43回)〔平成6年〕,文化功労者〔平成9年〕,井上靖文化賞(第6回)〔平成10年〕,文化勲章〔平成15年〕

経歴
祖父は狩野派絵師、父は西陣織図案家で、幼い頃から画材や図案下絵に囲まれて育つ。京都市立美術工芸学校の4年から飛び級で東京美術学校日本画科に進む。小林古径と山本丘人に師事し、昭和24年創作美術展初入選。26年新制作展新作家賞を受賞、28〜30年も連続入賞し、31年新制作協会会員となる。49年創画会結成に参加。最初は装飾画の制作に打ち込み、尾形光琳がよみがえったような絢爛華麗な秀作を生み“現代の琳派”と呼ばれた。50年前後には「黒い薔薇の裸婦」「白い薔薇の裸婦」などの洗練された官能的な裸婦で新境地を開き、ファンを驚かせた。その後、一転して水墨画に進むなど5年周期で画風が変わるといわれ、伝統画風に現代的な手法を取り入れて様々な創造の可能性を追求する現代日本画の旗手として活躍した。またジャンボ機や客船の内装デザインやBMW社のアート・カー(車のボディペインティング)といった工芸デザイン分野にも積極的に挑戦。59年身延山・久遠寺本堂の天井画を手がけ、平成10年には京都・天龍寺法堂に天井画「雲龍図」を完成させた。昭和41〜47年多摩美術大学教授、63年〜平成7年東京芸術大学教授を歴任。2年「加山又造全集」(全5巻 学習研究社)を刊行。15年文化勲章を受章。代表作に「馳る」「冬」「群れる」「火の鳥」「雪月花」「月光波涛」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「加山 又造」の解説

加山 又造 (かやま またぞう)

生年月日:1927年9月24日
昭和時代;平成時代の日本画家
2004年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

靡き

1 なびくこと。なびくぐあい。2 指物さしものの一。さおの先端を細く作って風にしなうようにしたもの。...

靡きの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android