劉克荘(読み)りゅうこくそう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「劉克荘」の意味・わかりやすい解説

劉克荘
りゅうこくそう
(1187―1269)

中国、宋(そう)代の詩人。字(あざな)は潜夫(せんぷ)、号は後村居士(こうそんこじ)。興化(こうか)軍莆田(ほでん)(福建省莆田県)の人。淳祐(じゅんゆう)(1241~52)中に同進士出身を賜り、官は竜図閣直学士に至った。初め徐照(じょしょう)ら永嘉(えいか)の四霊(しれい)の影響を受け、ついで晩唐詩風の近体詩を多くつくった。晩年農村隠棲(いんせい)してからの詩は陸游(りくゆう)に似る。江湖派の代表的詩人であるが、詩によって筆禍事件を起こしたこともある。彼の撰(せん)した『千家詩』と、詩人を論じた『後村詩話』は、ともに後人の詩学を啓発するところが大きい。著に『後村先生大全集』196巻がある。

[横山伊勢雄]

『前野直彬編『宋詩鑑賞辞典』(1977・東京堂出版)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「劉克荘」の意味・わかりやすい解説

劉克荘
りゅうこくそう
Liu Ke-zhuang

[生]淳煕14(1187)
[没]咸淳5(1269)
中国,南宋の文学者。ほ田 (福建省) の人。字,潜夫。号,後村。理宗のとき筆禍事件を起し,淳祐の初め許されて秘書少監となり,江東提刑などを経て竜図閣直学士に進んで引退,農村で余生をおくった。いわゆる江湖派の代表的存在であり,この派の詩人としては珍しくある程度の地位となっただけに社会的関心を示した詩もあるが,やはり日常生活をうたった詩が多く,六言詩が多いのが特徴。は当時としては珍しく辛棄疾のあとをうけようとした豪放派であり,散文は簡潔典雅で詩よりすぐれるとされる。詩論『後村詩話』 (14巻) があり,著作はすべて『後村先生大全集』に収められる。

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