前衛(読み)ぜんえい

精選版 日本国語大辞典 「前衛」の意味・読み・例文・類語

ぜん‐えい ‥ヱイ【前衛】

〘名〙
軍隊で、一縦隊の前進を防護し、かつ前方を捜索する部隊。〔五国対照兵語字書(1881)〕
テニスサッカーなどの球技で、自陣の前方におり、主として攻撃の任にあたるもの。フォワード
※青い月曜日(1965‐67)〈開高健〉一「ハンド・ボールでは前衛をつとめた」
階級闘争で、先進的、指導的な集団・部隊。
※太陽のない街(1929)〈徳永直戦線「前衛を以って任ずる人は、この際百パーセントの能率を以て、この単一無産政党の実質を擁護すべきだと云った」

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デジタル大辞泉 「前衛」の意味・読み・例文・類語

ぜん‐えい〔‐ヱイ〕【前衛】

軍隊の前方にあり、偵察・警戒などの任にあたる部隊。→後衛2
バレーボール・テニスのダブルスなどで、自陣の前方に位置して攻撃・守備にあたる者。→中衛1後衛1
階級闘争において最も革命的・先進的な役割を果たす集団。
芸術活動で、既成概念や形式にとらわれず、先駆的・実験的な表現を試みること。また、その集団。→アバンギャルド

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改訂新版 世界大百科事典 「前衛」の意味・わかりやすい解説

前衛 (ぜんえい)

元来はフランスにおける軍事用語avant-gardeで,本隊に先行し,これを導く精鋭部隊を指した。現代においては,とくに労働者階級や人民を指導し方向づける少数の政党を指すことが多い。また芸術や文化運動において時代に先行した理念に基づくグループを前衛(アバンギャルド)ということもある。

 19世紀西欧の労働運動では,労働組合や大衆とは区別され,それを指導する独自の政党という前衛の考え方はあまりなかった。前衛の理念を提出したのは20世紀の革命家レーニンであり,彼は《何をなすべきか》(1902)などの著作において,階級や労働大衆から区別された少数の職業革命家からなる党組織という前衛党論を展開した。彼はロシアの労働者の意識が自然発生的であり,また,官憲の弾圧が厳しい状況のもとで革命運動を行う必要から,この考えを主張した。前衛政党と対立する概念は大衆政党であり,広範な大衆に党への加入を認める考え方であるが,ヨーロッパの労働運動,労働者政党の主流がこれに近く,ロシアでもメンシェビキ系がこの理念を採っていた。ロシア革命ののち,ボリシェビズム,とくに前衛政党の考え方が世界の労働運動,民族解放運動に広まったが,これをめぐってヨーロッパの労働運動は共産党系列と社会民主主義系列とに分裂することとなる。しかし,現在においては資本主義国の共産党は,実際には大衆政党と化し,また労働者階級以外の入党も促すようになった(大衆的前衛党)ために,前衛という考え方はむしろ小セクトや新左翼が採用するようになっている。そして,この大衆的前衛党化が促進されるに従って,下からの民主化や大衆による指導がなされるのではなく,むしろ民主的中央集権制の名のもとに,党官僚層の支配を弁証したり,またかつてトロツキーらが指摘したような指導者崇拝を導くことになりがちである。現在の社会主義国における党の国家や社会組織に対する指導や支配も,前衛という考え方にたっている(たとえば,ソ連で1977年採択されたブレジネフ憲法)。なお,労働運動や共産主義運動以外の組織や運動において,エリート支配を指して前衛と呼ぶ例もときにみられる。
共産党
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前衛 (ぜんえい)

(1)1922年1月,山川均田所輝明上田茂樹,西雅雄らによって創刊された雑誌。〈一切の問題を,徹底した無産階級の立場から批判し,解剖し,評論し,弾劾する〉ことを目的とし,同年7月結党の第1次日本共産党の理論機関誌となった。山川らのほか堺利彦,荒畑寒村らが執筆した。なかでも山川は毎号執筆し,とくに〈少数の精英な革命的前衛〉が大衆の中へ入る必要性を説いた論文〈無産階級運動の方向転換〉(1922年7・8月合併号)は当時の運動に大きな影響をあたえ,彼を第1次日本共産党の理論的指導者とした。各号に〈当面の問題〉〈インタナショナルノート〉欄が設けられ,時事評論,各国共産主義運動が紹介され,また日本の運動理論の検討もなされている。23年3月,14号を最後に《社会主義研究》《無産階級》とともに《赤旗》に統合された。

(2)1928年1月,蔵原惟人らが創刊した前衛芸術家同盟の機関誌。月刊。蔵原は創刊号で分裂していたプロレタリア芸術運動の連合を訴え(〈無産階級芸術運動の新段階〉),ナップ結成に尽力した。4号で廃刊。

(3)1946年2月,日本共産党中央委員会によって創刊された理論政治誌。月刊。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「前衛」の意味・わかりやすい解説

前衛
ぜんえい
avant-garde

一般には,時代の最先端をいく革新的な芸術運動(アバンギャルド)をさすが,政治的には,革命におけるいわゆるプロレタリア前衛党をいう。本来は戦場で本隊の先頭に立ち,敵の妨害をはねのけて突破する精鋭部隊をさす軍事用語であったが,これがブルジョアジーとプロレタリアの階級闘争に転用され,プロレタリア階級の先頭に立つ「党」に適用された。プロレタリア革命における前衛の必要性と位置づけは,カール・マルクスにより初めてなされ,ウラジーミル・レーニンの『なにをなすべきか』(1902)においてその組織論的解明がなされた。マルクス=レーニン主義によれば,プロレタリア大衆は自然発生的には組合主義的意識しかもちえず,したがってそのままでは革命的でありえないため,外部から共産主義的意識をもたらし,これを革命的に展開されるのが前衛の役割とされている。レーニンは大衆組織,大衆政党,前衛政党とを区別して,職業革命家による少数精鋭主義の独自の前衛党組織論を打出した。ボルシェビキ革命後,この前衛党理論を模範にしてコミンテルンの指導下に各国に共産党が組織された。日本においても 1922年7月コミンテルン日本支部として第1次日本共産党が結成された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「前衛」の意味・わかりやすい解説

前衛
ぜんえい

(1)日本共産党結成前後の実質上の機関誌的月刊雑誌。1922年(大正11)1月創刊。山川均(ひとし)を中心とする田所輝明(たどころてるあき)、上田茂樹(うえだしげき)ら「水曜会」のグループが編集、発行した。当時のアナキスト大杉栄(さかえ)らとの論争、すなわち「アナ・ボル論争」ではボリシェビキ(マルクス主義)の立場の最有力誌であった。また第2巻第1号(1922.8)に掲載された山川均の「無産階級運動の方向転換」は、これまでの少数の自覚的部分の運動から、大衆との結合による運動の大衆化を訴えたものとして有名である。翌23年4月から山川の手を離れ、『社会主義研究』『無産階級』と合併、『赤旗(せっき)』として再出発した。法政大学出版局から復刻版が出されている。(2)昭和初期のプロレタリア文学の月刊雑誌。前衛芸術家同盟の機関誌として1928年(昭和3)1月に創刊され、同年4月終刊、『戦旗』として新発足した。(3)第二次世界大戦後の日本共産党の理論政治誌。1946年(昭和21)2月に創刊、同年11月より月刊になり今日に至る。

[山田敬男]

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普及版 字通 「前衛」の読み・字形・画数・意味

【前衛】ぜんえい

前方の守備。

字通「前」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の前衛の言及

【アバンギャルド】より

…〈前衛〉の意。元来はフランスの軍隊用語で,本隊に先がけて敵陣を偵察し奇襲する精鋭の小部隊。…

【戦旗】より

…全41冊。28年3月の三・一五事件に抗するため,蔵原惟人らの前衛芸術家同盟と中野重治らのプロレタリア芸術連盟がその月のうちに合同し,結成したナップ(全日本無産者芸術連盟)の機関誌。それまでの蔵原らの機関誌《前衛》と中野らの機関誌《プロレタリア芸術》との合体であり,《文芸戦線》の社会民主主義的傾向に対して,共産主義芸術運動の展開をめざした。…

※「前衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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