制度学派(読み)せいどがくは(英語表記)institutionalism

翻訳|institutionalism

精選版 日本国語大辞典 「制度学派」の意味・読み・例文・類語

せいど‐がくは【制度学派】

〘名〙 経済学の一学派。イリーを先駆者とし、一九世紀末から一九三〇年代初めにかけて発展したアメリカ独特の学派。古典学派の抽象的な方法に対して、経済の制度面を重視し、慣習や社会の制度的構造と関連させながら、進化過程を基準とする実証的な経済理論を樹立しようとした。ベブレンコモンズミッチェルがその代表者

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デジタル大辞泉 「制度学派」の意味・読み・例文・類語

せいど‐がくは【制度学派】

19世紀末から20世紀初めにかけて米国で形成された経済学の一学派。慣習的思考様式や家族・株式会社労働組合・国家などの活動体を制度とし、こうした制度の累積的進化過程を経済現象としてとらえようとした。ベブレンコモンズミッチェルらが代表者とされる。

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改訂新版 世界大百科事典 「制度学派」の意味・わかりやすい解説

制度学派 (せいどがくは)
institutionalism

アメリカにおいて19世紀末から20世紀初頭にかけて,T.ベブレンを先頭にして形成された経済学の学派をさす。1870年代以降,アメリカ経済は,活発な技術進歩と南西部の広大な国内市場とを背景にして,とくに工業部門で急激な成長期にあったが,同時に,新たに多様な社会問題をも発生させた。独占体の形成,国民的規模の不況,巨大資本による土地投機およびそれらに対する労働者や農民の組織的反抗などがそれである。そうした活動は,株式会社,企業者組合,労働組合あるいは農民組合などといった集団によって遂行されていた。つまり,この時期のアメリカは社会諸制度が動態的に変化していく過程にあったのである。

 このような状況にあって,個人主義的かつ静態論的な新古典派の経済学は時代の関心をよく満足させるところではなくなった。これに加えて,ソーシャル・ダーウィニズムの社会観やプラグマティズムの認識論の影響もあって,アメリカに特有のインスティチューショナリズムつまり制度主義の経済学派が成立したわけである。その先史としては,R.T.イリーやJ.B.クラークといったドイツ歴史学派の洗礼を受けた経済学者の仕事を挙げることができるが,制度学派を確立したのはT.ベブレン,J.R.コモンズそしてW.C.ミッチェルである。この3者の間にも多くの理論的および思想的な違いがあるが,おおまかにくくれば,功利主義的な快苦の心理法則にもとづく個人主義的社会観にかえて,政治的,社会的そして文化的な諸要因との深いつながりのもとに創造され進化していくものとして経済制度をとらえる観点を採用するところに,制度学派の本質がある。

 とくにベブレンは,《有閑階級の理論》(1899)や《営利企業の理論》(1904)などの著作によって,ひときわ異彩を放っている。彼は,人類学,心理学,哲学および言語学などに及ぶ該博な知識を駆使して,経済行為の象徴分析あるいは精神分析とでもいうべきものをくりひろげたのである。つまりベブレンのいう制度とは思考や行動の習慣的枠組みのことであり,そしてそれは象徴的体系によって構成されるものであった。

 このようなものとしての制度は,一般に,略奪的あるいは獣的な悪性をおびたものとみなされた。またそれは,ペアレンタル・ベントつまり親性傾向,ワークマンシップつまり製作者本能,そしてアイドル・キュアリオシティつまり怠惰な好奇心といったような善性をおびた生得的本能に対立するものと考えられた。

 そして,彼のいう制度の進化論とは,象徴の体系としての制度が発展していくにつれて未開社会にみられたような生得的本能の発揚が阻害されていくという歴史的過程を描こうとするものであった。近代産業社会はこの過程の最先端にあり,そこでは略奪的精神が金銭的外観をともなって現象し,それにつれて社会の階層化が進行していくと考えられたのである。

 これに対し,コモンズの制度に対する関心は,民主主義的な制度改革のための処方箋をつくることにあった。彼は,たとえば《集団行動の経済学》(1950)において,個人の行動を規制する集団的行動準則を制度とよび,その制度によって私的な利害が調整され,さらには政府の介入のもとに公正な競争が達成される過程を説明したのである。このように実践的方向をめざしたコモンズ流の制度主義は,ニューディールをはじめとする経済改革の運動に大きな役割を果たした。

 またミッチェルは,たとえば《景気循環》(1927)において,諸価格の循環的調整過程を貨幣経済の進化過程としてとらえ,経済データの組織的収集にもとづく数量的経済学をおしすすめた。その数量分析が制度主義的とみなされるのは,ミッチェルにおいても,産業industryと営利企業business,あるいは財生産making goodsと金もうけmaking moneyの区別というベブレン流の制度理解があったからである。

 これら3者にJ.M.クラークやG.C.ミーンズらを加えて旧制度学派とよび,《豊かな社会》のJ.K.ガルブレースや《アジアのドラマ》のK.G.ミュルダールらのように,より包括的かつ現代的な問題意識をもった経済学者たちを新制度学派とよぶのが普通である。つまり後者にあっては,〈生活の質〉とか南北問題といったような新たな論点に関心がそそがれている。なお近年において,新古典派的な〈費用・便益分析〉の原則を制度形成の問題に応用しようとするような試みも新制度学派とよばれている。しかし,制度学派の始祖というべきベブレンの視点をふまえるならば,制度主義の本質は経済行為の象徴論的解釈の方向にこそ求められるべきであろう。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「制度学派」の意味・わかりやすい解説

制度学派
せいどがくは
institutional school
institutionalism

1880年代ごろから1920年代末葉ごろまでアメリカで非常な影響力をもっていた、当時においては多分にアメリカ独自の経済学上の一流派。アメリカでは19世紀なかば以来、経済の制度面を重要視し、社会の制度や構造と関係させながら経済事実を詳細に考察し、事実とかなり密着した、あまり抽象化されない理論を展開しようとする考え方が強かった。この考え方が、イギリス古典派および1880年代から有力化し始めた新たな抽象理論中心の経済学に対する反発と、アメリカで当時急速に強まっていた独占的・金権主義的経済体制に対する批判として、かなり組織化されたのが、のちに(1910年代の後半ごろから)制度学派とよばれるようになった、この集団である。

 制度学派は、アメリカ経済学会創始者の1人R・T・イリーらによって先鞭(せんべん)がつけられていたが、普通その創始者とされるのはT・B・ベブレンであり、彼に続く代表者としてはJ・R・コモンズやW・C・ミッチェルがあげられることが多い。彼らにほぼ共通してみられるのは、古典学派や限界革命以後の限界原理にたつ諸学派の狭義の経済理論の抽象性、自己限定性を飽き足らなく思い、社会主義的思想、C・S・パースやW・ジェームズ、J・デューイらの行動主義哲学や行動主義心理学と、C・R・ダーウィンの進化論、とくにH・スペンサーの進化論的社会観の影響のもとに、経済現象を、人間の多分に本能的な社会的行動によって歴史的に広く普及した「制度」institutionの問題としてとらえ、そのようなものとしての経済現象を、社会改良主義の立場にたちつつ、狭義の経済理論だけでなく、いわば隣接領域たる心理学、社会学、法学、統計学、文化人類学等々の成果をも積極的に援用しながら、歴史的に解明しようとする態度である。ベブレンは、代表作『有産階級の理論』Theory of the Leisure Class(1899)や『企業の理論』Theory of Business Enterprise(1904)にみられるように、当時の経済理論や経済体制を鋭く批判した点に最大の貢献があり、ミッチェルは1913年以来の相次ぐ包括的景気循環の研究で著名で、またコモンズは経済問題をさまざまな側面で人間の集団的活動としてとらえる多くの労作を刊行した。

 1970年ごろから経済問題に対する学際的interdisciplinaryないし超学的transdisciplinary接近の必要性が強調されだしてから、制度学派はふたたび大きく見直されるようになってきており、今日そのような角度から経済問題を論じているK・G・ミュルダールやJ・K・ガルブレイスらがしばしば「新制度学派」とよばれている。

[早坂 忠]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「制度学派」の意味・わかりやすい解説

制度学派
せいどがくは
institutional school

アメリカにおいて 19世紀末から発達した経済学の一学派。古典学派限界効用学派新古典学派などの一般化,抽象化された機械的分析に対する批判から生れたもので,経済現象を人間の社会的行動によって歴史的に広く普及した社会的慣習としての制度の問題としてとらえ,アメリカ社会の制度的特徴とその変化に即して経済を具体的に把握しようとした。また南北戦争後の資本主義の発達とともに生じた独占,恐慌,労使対立,貧困などの問題に台頭した社会主義思想の影響を受け,社会政策論,社会改良論を展開した。この学派の先駆者である R.イーリーはアメリカ資本主義の特質を分析し,社会政策による矛盾の除去を主張し社会の改良に努力した。これはその後 T.ベブレン,J.コモンズにより大成され,1920年代に最盛期を迎え,のち衰微したが,その後のアメリカ経済学の思考様式に大きな影響を与えた。この派の学者にはほかに W.C.ミッチェル,J.M.クラーク,J.K.ガルブレイス,K.E.ボールディングらがいる。

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百科事典マイペディア 「制度学派」の意味・わかりやすい解説

制度学派【せいどがくは】

家族,株式会社,労働組合,産業団体,国家等の経済組織の要因や社会的・政治的要因によって経済現象を究明する米国の経済学派。1880年代から1930年代にかけて形成された。歴史学派の影響下に限界効用学派の純理性を離れ,社会心理学的概念を導入して諸制度の実証的研究に進み,社会改良を説いた。T.B.ベブレン,J.R.コモンズらが代表。
→関連項目ガルブレース

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世界大百科事典(旧版)内の制度学派の言及

【機能主義】より

…この問題をさらに厳密に考えぬき質量,力,エネルギー,原子,時間,空間といった近代科学の基本概念を,実体的なものの表現としてではなく,現象相互の関係やその変化を法則的に表現しようとする関数概念と解すべきだと説くカッシーラーの主張(《実体概念と関数概念》1910)なども,〈機能(関数)主義〉とよばれてよい。 一方,個別科学の領域で機能主義的と見られるのは,心理学においてはW.ジェームズの流れをくむデューイやJ.R.エンジェルらの機能心理学,それを継承するJ.B.ワトソン,G.H.ミードらの行動主義心理学,民族学や人類学の領域ではデュルケームの影響下に立つB.K.マリノフスキー,ラドクリフ・ブラウンらの機能学派,経済学におけるベブレンの制度学派,法学ではR.パウンドの社会工学,G.D.H.コールらギルド社会主義者の機能的国家論などである。しかし,この場合も,たとえば心理学における機能主義が,意識をその内容にではなく作用に即して考察し,その生物学的意味を解明しようとするものであり,C.ダーウィンやH.スペンサーの進化論の強い影響下に発想されたものであるのに対して,人類学におけるそれは,むしろ歴史主義や進化主義への批判から出発し,社会や文化を孤立した要素の複合体と見る従来の考え方に反対して,現存の制度や慣習の機能を全体としての文化や社会との関連のうちで解明しようとするものである。…

【経済学説史】より

…そして《プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神》で有名なM.ウェーバーの理念型や価値自由性などの方法論的研究は,歴史学派の自己批判であったといえる。 ドイツにおける歴史学派に対応するものが,アメリカにおける制度学派である。《有閑階級の理論》(1899)のT.B.ベブレン,《集団行動の経済学》のJ.R.コモンズ,景気循環の測定のW.ミッチェルなどのほか,現代のJ.K.ガルブレースもこの学派に属するといえよう。…

【ベブレン】より

…ノルウェー系のアメリカの経済学者で,制度学派の創始者。ウィスコンシン州の片田舎カトーに生まれ,ジョンズ・ホプキンズ大学,イェール大学で哲学,人類学,社会学,経済学を学んだ。…

【歴史学派】より

…彼もやはり古典派や新古典派の静態的な経済社会理論を手厳しく批判する。彼は経済学は〈進化の科学〉たるべきだと主張し,そして彼の制度学派は経済社会の累積的な変化のプロセスをプロセスそれ自体に即して考察しようとするものであった。歴史学派はベブレンの制度学派と同様に社会科学としての経済学に重要な示唆を与えるものであり,その意味で歴史学派を古典派に対する単なる反動とみなすことはできない。…

※「制度学派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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