20世紀日本人名事典 「別当 薫」の解説
別当 薫
ベットウ カオル
昭和期のプロ野球選手,プロ野球監督
- 生年
- 大正9(1920)年8月22日
- 没年
- 平成11(1999)年4月16日
- 出生地
- 兵庫県西宮市
- 出身地
- 大阪府
- 学歴〔年〕
- 慶応義塾大学〔昭和21年〕卒
- 経歴
- 甲陽中投手として甲子園出場。慶大では打撃を買われて外野手に転向し、昭和17年東京六大学の首位打者(打率5割)を獲得。兵役を経て、慶大卒業後、オール大阪のメンバーとして都市対抗に活躍。23年阪神入団。25年2リーグ分裂とともに毎日に移籍し、同年本塁打王、打点王になり、優勝に貢献して最高殊勲選手も獲得。29〜32年監督兼外野手を務めた。実働10年、891試合、3191打数965安打、155本塁打、打率.302。引退後、大毎、近鉄、大洋、広島、再び大洋の監督を歴任。通算1237勝1156敗104分け。63年殿堂入り。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報