初山踏(読み)ういやまぶみ

精選版 日本国語大辞典 「初山踏」の意味・読み・例文・類語

うい‐やまぶみ うひ‥【初山踏】

[1] 〘名〙 初めての山歩き。特に、修行のために大峰葛城(かつらぎ)などの山に初めて登ることを、学問の道に初めてはいることのたとえにいう。
※うひ山ふみ(1799)「いかならむうひ山ぶみのあさごろも浅きすそ野のしるべばかりも」
[2] (うひ山ぶみ) 本居宣長著。一巻。寛政一〇年(一七九八成立、翌年刊。「古事記伝」完成後の宣長が門人懇望に応じ、初学者向けに国学の学び方を平明に説いたもの。

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改訂新版 世界大百科事典 「初山踏」の意味・わかりやすい解説

初山踏 (ういやまぶみ)

本居宣長の国学書。1798年(寛政10)成立。《古事記伝》を完成した69歳の年に,門人のための初学入門書として書かれたが,実際には宣長学の要約であるといえる。国学を学ぶにあたって必須の道筋を,〈皇国の道〉の学,有識(職)学,国史学,歌学と分類して整理し,後進指針を与えた書物。それまで儒学的な先入観をもって見られていた日本の上古の姿を正確に復元するという目的に沿って,古典研究の方法を明快に述べている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「初山踏」の意味・わかりやすい解説

初山踏
ういやまぶみ

本居宣長(もとおりのりなが)の学問論。1798年(寛政10)成立。この年『古事記伝』を完成させた宣長は、弟子たちの求めに応じ、国学を志す初心者の心構えを説き著した。賀茂真淵(かもまぶち)の『にひまなび』(1765成立)を意識しつつ、学問の中心に「道」学びを据え、その勉強法を具体的に示し、さらに伝習慣例にこだわらぬことなど学問の態度についても懇切に述べている。そのうえ国学を「道」学びに限定せず、歌文を学び、有職故実(ゆうそくこじつ)や国史の研究など、関連領域の重要さを述べ、国学の柔軟性をみせている。

[萱沼紀子]

『『うひ山ふみ・鈴屋答問録』(岩波文庫)』『大久保正編『本居宣長全集 1』(1968・筑摩書房)』『吉川幸次郎編『日本の思想 15 本居宣長集』(1969・筑摩書房)』

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百科事典マイペディア 「初山踏」の意味・わかりやすい解説

初山踏【ういやまぶみ】

本居宣長(もとおりのりなが)著。1冊。1798年に成り,翌年刊。門人のための初学入門書として書かれた。国学の目的・研究方法を初学者向きに説く。〈皇国の道〉を頂点として有職(ゆうそく)の学,国史学,歌文の学に分類整理して指針を与えており,一種の国学概論となっている。

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世界大百科事典(旧版)内の初山踏の言及

【国学】より

…〈国学〉とは本来,律令制度のもとで諸国に置かれた学校を意味する言葉であったが,上記の字義で用いられるようになったのは近世後期のことである。本居宣長の《初山踏(ういやまぶみ)》も,〈皇国の事の学をば,和学或は国学などいふならひなれども,そはいたくわろきいひざま也〉と,この呼称には否定的であったが,中島広足(なかじまひろたり)の《橿園随筆(かしぞのずいひつ)》(1854)には,〈今云国学は,我国に道なきを恥て,本居の新に建立(たて)たる学〉といった語句が見え,〈国学〉の語義がその内容のイデオロギー化と大きな関係があったことをうかがわせる。この名称が最終的に定着したのは明治時代になってからであった。…

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