分離同盟戦争(読み)ぶんりどうめいせんそう(英語表記)Sonderbundskrieg ドイツ語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「分離同盟戦争」の意味・わかりやすい解説

分離同盟戦争
ぶんりどうめいせんそう
Sonderbundskrieg ドイツ語

1847年11月にスイスで起こった内戦。1815年以後のウィーン体制下のヨーロッパでは、しだいに自由主義が進展したが、スイスでもこの間、急進派保守派、さらにカトリック修道院やイエズス会の活動禁止をめぐって新旧両教会派の対立が激化した。44~45年、ベルン州などの一部の急進派は義勇軍を編成、二度にわたって保守派の中心地ルツェルンを攻撃したが、失敗した。45年12月、カトリックの七州(ウリシュウィーツウンターワルデンツークフリブールバレー、ルツェルン)は分離同盟(ゾンダーブントSonderbund)を結び、州の主権侵害に対しては武力をもって共同防衛にあたることを約した。これは、連邦の利益を侵害する各州間の同盟を禁じた1815年のスイス連邦規約に違反するため、自由主義諸州は、ベルンの全州会議で、同盟の解消を多数決によって決議したが、同盟側はこれを無視した。全州会議は、デュフールGuillaume Henri Dufour(1787―1875)将軍を司令官とし、武力をもって同盟軍を破った。48年、スイスは新連邦憲法を施行し、国家の統一を再確認し、自由主義を前進させた。

[中井晶夫]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「分離同盟戦争」の解説

分離同盟戦争(ぶんりどうめいせんそう)
Sonderbundkrieg

スイスの保守派・カトリック地域(州)が分離同盟を結成し,自由主義派・プロテスタント地域が解散を求めて1847年に戦った戦争。自由主義派が勝利して,翌48年現在につながるスイス連邦が形成された。この戦争はヨーロッパにおける1848年の革命の先導灯の役割を果たした。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の分離同盟戦争の言及

【スイス】より

…スイスでも保守派がカトリック派カントンと,新しい潮流がプロテスタント派カントンと組み,宗教的対立を含んで内乱となった。保守派が分離同盟Sonderbundを結成したので,これを分離同盟戦争(1847)といった。保守派が敗北をした結果,1848年に連邦憲法が制定され,22のカントンからなる連邦国家の誕生を見る。…

※「分離同盟戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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