出雲大社教(読み)イズモオオヤシロキョウ

デジタル大辞泉 「出雲大社教」の意味・読み・例文・類語

いずもおおやしろ‐きょう〔いづもおほやしろケウ〕【出雲大社教】

教派神道の一。明治15年(1882)、出雲神社の大宮司千家尊福せんけたかとみ出雲大社敬神講いずもたいしゃけいしんこうもとにして組織した宗教初め大社たいしゃ教と称したが、昭和26年(1951)現名称に改めた。本部は島根県出雲大社町杵築東。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「出雲大社教」の意味・わかりやすい解説

出雲大社教
いずもおおやしろきょう

神道(しんとう)教団。旧教派神道の神道十三派の一つ。明治政府の宗教政策のもとで1873年(明治6)1月千家尊福(せんげたかとみ)が出雲大社(たいしゃ)に対する古来信仰をもとに、出雲大社敬神講(おおやしろけいしんこう)を組織したのに始まる。同年9月に出雲教会、76年に出雲大社(おおやしろ)教会と改称。82年5月神道大社(たいしゃ)派として神道事務局より独立、同年11月に神道大社(たいしゃ)教と改称した。第二次世界大戦後の1946年(昭和21)に出雲大社(たいしゃ)教、さらに51年に出雲大社(おおやしろ)教と改称して現在に至る。

 大国主神(おおくにぬしのかみ)を主神とし、造化三神(ぞうかのさんしん)(天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かみむすびのかみ))、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、産土神(うぶすながみ)を崇拝対象としている。教祖は神話的存在である天穂日命(あめのほひのみこと)とされているが、実質的には教団を組織した千家尊福がその位置にある。彼の著した『教旨大要』『大道要義』『大道問答』などが教典とされている。

 その教えは、顕幽一貫の理を説き、顕界における幸福と幽界における栄光を目的とするが、実際は出雲大社(たいしゃ)信仰と不可分である。また教団所属の教会のなかにはかなり独立性を有するものがあり、それらの活動内容は多岐にわたっている。主として中国四国九州の各地方に信者をもつ。本部は島根県出雲市大社(たいしゃ)町。教会数227、教師数8297、信者数125万9313(『宗教年鑑』平成17年版)。

[井上順孝]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「出雲大社教」の意味・わかりやすい解説

出雲大社教
いずもたいしゃきょう

教派神道 13派の一つ。大社教ともいう。 1873年千家尊福により創始。アマテラスオオミカミが出雲国多芸志の小浜に宮を築きアメノホヒノミコトに奉仕させたのが出雲大社起源。古来朝野の崇敬厚く本社の祭神は全国各地に祀られる。アメノホヒノミコトの子孫は世々出雲の国造として大社に奉仕してきたが,中世以降国造家は千家と北島の両家に分れ互いに祠職につき,祭事を司ってきた。明治にいたり,尊福により祭神を奉って大社教が組織された。出雲大社の祭神オオクニヌシノミコトの経世治国の意を奉戴し,国恩に報い,心行を正直にすべきことを説く。第2次世界大戦後,1951年大社を宗祠として,出雲大社教 (いずもおおやしろきょう) と改めた。

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百科事典マイペディア 「出雲大社教」の意味・わかりやすい解説

出雲大社教【いずもおおやしろきょう】

大社教(たいしゃきょう)

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世界大百科事典(旧版)内の出雲大社教の言及

【大社教】より

…そのため出雲派は,宗教としての神道を確立すべく,1892年大社教の独立をはかった。1951年出雲大社教(いずもおおやしろきよう)と改称,出雲大社を本宗とする新教団として再出発した。【大濱 徹也】。…

※「出雲大社教」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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