凌雲集(読み)りょううんしゅう

精選版 日本国語大辞典 「凌雲集」の意味・読み・例文・類語

りょううんしゅう ‥シフ【凌雲集】

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デジタル大辞泉 「凌雲集」の意味・読み・例文・類語

りょううんしゅう〔リヨウウンシフ〕【凌雲集】

平安初期の日本最初勅撰漢詩集。1巻。嵯峨天皇の命により、小野岑守おののみねもり菅原清公らが撰。弘仁5年(814)成立。延暦元年(782)から弘仁5年までの作者24人の詩91首を収める。凌雲新集

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改訂新版 世界大百科事典 「凌雲集」の意味・わかりやすい解説

凌雲集 (りょううんしゅう)

平安初期の勅撰第1漢詩集。1巻。《凌雲新集》とも。782年(延暦1)以来の漢詩を集め,814年(弘仁5)成立。書名は〈雲を凌(しの)ぐ〉ほど優れた詩集の意。小野岑守(みねもり)が嵯峨天皇勅命を奉じ菅原清公(きよきみ)らと慎重に協議して編集したことが序文にみえる。作者23名,詩数90首,現存本にはさらに1名1首が加わる。皇室詩人の詩を冒頭に置き,ほぼ爵位順個人別に配列,嵯峨天皇の22首が最も多い。詩の内容を試みに大別すると,雑詠を除いて遊覧,宴集が優位を占め,餞別,贈答,哀傷述懐,詠史,楽府などを含み,特に仏教詩数首を載せることは唐人撰唐詩集的である。詩体は,上代詩とは逆に五言よりも七言がやや多くなり,また雑言体もみえる。これらの詩は,君臣間など詩人相互の唱和の場合が多く,本集の性格を物語る。佳作もままあるが,総じていえば,試作的な漢詩集といえる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「凌雲集」の意味・わかりやすい解説

凌雲集
りょううんしゅう

平安前期の漢詩文集。814年(弘仁5)小野岑守(みねもり)、菅原清公(すがわらのきよきみ)、勇山文継(いさやまのふみつぐ)らによって編纂撰進(へんさんせんしん)された。序文に「凌雲新集」とあるが、普通には「雲を凌(しの)ぐほどにすぐれた詩を集めた詩集」の意味で凌雲集とよばれる。782年(延暦1)から814年までの範囲から詩人23人、詩90首(ただし現存本は24人と91首)を撰(えら)び、官位の順に従って配列した官僚臭の強い集である。所載詩を様式の面からみると五言詩が42首、七言詩49首で、前時代の『懐風藻(かいふうそう)』に比べると五言詩が少なくなっている。作者別では嵯峨(さが)天皇の22首を最高に、賀陽豊年(かやのとよとし)・小野岑守13首、淳和(じゅんな)天皇五首、菅原清公四首などが多数の入集(にっしゅう)者である。

[金原 理]

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百科事典マイペディア 「凌雲集」の意味・わかりやすい解説

凌雲集【りょううんしゅう】

平安前期の漢詩集。1巻。嵯峨天皇の命により小野岑守(みねもり)らが撰進した最初の勅撰集。814年の成立とされている。作者23人,詩90首。ただし現存本はさらに無位1名,1首が加わる。七言の詩が多く,唐詩の影響が大きい。書名は雲をしのぐほどすぐれた詩集の意。
→関連項目漢詩経国集文華秀麗集

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「凌雲集」の解説

凌雲集
りょううんしゅう

正式名は「凌雲新集」。最初の勅撰漢詩集。1巻。814年(弘仁5)成立。小野岑守(みねもり)が菅原清公(きよとも)・勇山(いさやま)文継らとはかり撰進。書名は雲を凌(しの)ぎ高く聳(そび)える詩文集という意で,「史記」によるとされる。782~814年(延暦元~弘仁5)の作品を採録し,作者は平城上皇・嵯峨天皇・皇太弟(淳和天皇)以下23人で,全90首。ただし現存本では巨勢識人(こせのしきひと)の1首が加わっている。配列はのちの勅撰漢詩集とは異なり,内容による分類をせず,平城上皇から順に個人別で官位順をとる。遊覧・宴集の詩が多く,嵯峨天皇を中心とする君臣間の唱和,天皇賛美の奉和応製の詩が多く,弘仁期の文学の特色がよくうかがえる。「日本古典全集」所収。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「凌雲集」の意味・わかりやすい解説

凌雲集
りょううんしゅう

平安時代前期の漢詩集。弘仁5 (814) 年に嵯峨天皇の勅命を受けて小野岑守,菅原清公,勇山文継が延暦1 (782) 年から弘仁5 (814) 年にいたる 32年間の詩人 24人 (序文 23人) の詩 91 (序文 90) 首を選んだもので,日本最初の勅撰漢詩集。1巻。七言詩が 46首,五言詩が 39首で,『懐風藻』に比べて七言詩がふえていることや,雑言詩6首がみえることなど,従来の漢詩と格調を異にする。遣唐使や留学生などの努力によって当時の中国詩壇の趨勢が学習され,影響を受けたものといえよう。唐風文化の移入によって漢詩文の全盛期を迎えた平安前期の詩風を知るうえに欠くことができない。

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旺文社日本史事典 三訂版 「凌雲集」の解説

凌雲集
りょううんしゅう

平安前期,最初の勅撰漢詩集
正しくは『凌雲新集』。814年ころ成立。1巻。嵯峨天皇の命により小野岑守 (みねもり) ・菅原清公 (きよきみ) らの撰。『懐風藻』のあとをうけ782〜814年の間の詩91首をおさめた。唐詩の影響が強い。

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世界大百科事典(旧版)内の凌雲集の言及

【小野岑守】より

…空海と相許した詩友で,〈白雲の人,天辺の吏,何れの日か念(おも)うことなからん〉という詩(《性霊集》一)を贈られ,自分も帰休間遊の際に,〈言を寄す陵藪の客,大隠は朝市に隠るるものを〉(《経国集》十)と詠んで贈った。延暦以来の23人の詩を集め《凌雲集(りよううんしゆう)》を撰して序を書き(814),儀典行事の新式を定め《内裏式》を撰して序を作った(821)。民衆の凶作に苦しむのを見て貯穀を上表し(823),九州の旅路に続命院を建てて旅人の困苦を救おうとして解状(げじよう)をさし出した(天長年間)。…

【勅撰集】より

…勅撰漢詩集は,漢風謳歌の時代といわれる平安初期に,勅撰三集と総称される三つの集が編まれた。《凌雲新集》(《凌雲集》)1巻(814)は782年(延暦1)から33年間の作品をまとめた近代詞華集で,次いでこの集に漏れたものを含めて《文華秀麗集》3巻(818)が成り,さらに,707年(慶雲4)から約120年間の178人の作者,1000編余の作品を集めて《経国集》20巻(827)が王朝漢文学の一大集成として成った。王朝漢文学は,貞観~寛平期(859‐898)に黄金時代を迎えるが,なぜかそれ以後勅撰詩集は撰進されず,その役割を勅撰和歌集に譲る。…

※「凌雲集」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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